• HOME
  • 記事
  • インタビュー
  • 人生の大先輩の話にじっと耳を傾けるのはナゼ?10年間「聞き書き」を支える高木さんの想い。

人生の大先輩の話にじっと耳を傾けるのはナゼ?10年間「聞き書き」を支える高木さんの想い。

インタビュー

すがすがしい秋の空から視線を下ろすと山々に赤、黄色に色付く紅葉。

愛知県豊田市足助にある香嵐渓は、全国にその名を知られる紅葉の名所。最も見頃の時期となる11月には約4,000本と言われるモミジの紅葉が見られる。今年は新型コロナウイルスの影響でイベントが中止になったにもかかわらず、今だけの美しさを観に足を運ぶ人が多い。

足助の町並みは、尾張・三河と信州を結ぶ伊那街道(中馬街道)の重要な中継地で、物資運搬の要所として栄えた商家町。今も江戸時代後期に建築された家が多く残っていて、2011年に愛知県初の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

そんな歴史深い足助地区で「聞き書き」という手法を使ってお年寄りの話を冊子にする取り組みをしている団体「あすけ聞き書き隊」がある。聞き書きとは語り手の話した言葉をそのまま書き止め、語り手が目の前で今まさに話しているかのような文章としてまとめていく手法だ。

『足助の聞き書き』は、足助地区に住む80歳前後の方から昔の暮らし、考え方、生業についての話を聞き、出版する活動を毎年続けている。NPO法人「共存の森ネットワーク」から聞き書き手法の指導を受け、2010年度から昨年度までに第1集〜第8集で70名の話し手の生き様を掲載してきた。

美しい木版画の表紙は一緒に活動している事務局の浦野友理さんが毎回手掛けている

 

発足当時から団体の事務局を担っているのが足助出身の高木伸泰(たかき・のぶやす)さん。家業を継いで始めた組み込みソフトウェア開発の仕事をメインに多忙な日々を送っている。本業もある中、ボランティアで10年間も聞き書きの取り組みを続けている。その理由は何だろう。

高木さんが聞き書きに出会うまでと、その魅力について話を聞いた。

撮影:永田ゆか

 

地元を知るためのブログに全国から反響

 

高木さんは小学生の頃は学校から帰ると、すぐ近くの巴川に遊びに行くような元気な子どもだった。父親は、薪を売ったり、農業、養鶏、養豚を営んだりした後に、鉄工所、自動車部品製造を開業した。高木さんは人生を自分で切り開いていく父の姿を見ながら成長した。

成人して総合電機メーカーの名古屋市内にある拠点に勤務し、工業用機器の製品開発に従事。35歳の時に実家に戻ってきた。現在54歳の高木さんは両親と妻、子ども3人の7人で暮らしている。

いつも背中を見てきた父・健さんと一緒の写真を、高木さんのご長男が撮影

 

「帰ってきたのは勤務して10年という節目と、単純に長男だから家を継ぐつもりだったので」と話す高木さん。Uターンしてみると地元のことをあまり知らないと気が付いた。そこで自分の得意分野である書くことを活かし「思いつくままー足助からー」というブログ名で発信していくことを思いついた。

「元々プログラミングをすることが仕事なのでパソコンに向かうことは苦にならず、遠方にいる弟たちにもここでの暮らしを伝えたくて」

仕事場の様子

 

2002年当時、ブログやメルマガを作成する人がまだ少なく、足助と検索すれば上位に表示された。徐々にたくさんの読者に読まれるようになった。

 

「オーストラリアからメールがきたことがあって。足助に住みたくて情報を探していたところ、私のブログをみつけて連絡をくれたんです。情報量が多いことに関心を持ってくれて、やっていて良かったなと思いました」と振り返る。

 

情報発信するには、事前に調べること、体験することが必要だった。そこで、消防団や商工会青年部に所属したり、たんころりんという竹で編んだ行灯を作る会に参加したり、地域づくりの活動に顔を出したりするようになった。他にも、老舗の和菓子屋さんの名物を食レポ、香嵐渓紅葉の色づきの撮影など多様な発信を継続した。

 

そうすることで足助について徐々に知ることができた。また発信すれば反響があり、人とつながれることの面白みが出てきた。

 

ブログがつなげた、聞き書きとの縁

 

2010年のある日、豊田市役所足助支所に勤める井上美知代さんからこんなメールが届いた。

「地域予算提案事業として足助で聞き書きを始めることになりました。書き手を養成する講座を開催し、その受講生に聞き書きをやってもらって本を作ろうと思っています。高木さん、協力してくれませんか?」

豊田市には地域と行政が共働し、地域の意見を市の施策に反映し、効果的に地域ならではの課題を解決する「地域予算提案事業」という仕組みがある。

当時の足助地区では歴史をどう残していくかという課題が挙がっていた。

井上さんは声をかけようと思ったきっかけをこう話す。

「聞き書き活動は、ぜひ足助の若い方にやってもらいたかったんです。高木さんがブログで足助について情報発信しているのを知っていて、情報量も多いし、こまめに更新されていて、足助への想いがすごいなと思っていました。この事業にも絶対に賛同してもらえると思って、声をかけることにしました」

 

井上さんから連絡が入る前から、高木さんはインターネットで聞き書きの産みの親である作家・塩野米松さんと糸井重里さんの「聞き書きの世界(ほぼ日刊イトイ新聞)」の対談記録を読み、聞き書きについて知っていた。

対談の中に、「聞き書きは会話のキャッチボール次第だから、予定外の話が出ることになる。そこに本人も次の展開が読めないおもしろさがある」、「具体的に話を聞くんだよ。人の人生はディティールにこそおもしろさがあるんだからね」と書いてあったことに興味を覚え、いつかやってみたいと思っていたそうだ。

 

そのため、ためらうことなく聞き書き講座に参加し、2011年3月に第1集「足助の聞き書き」が発行された。その後、聞き書き講座に参加したメンバーの中から高木さんを含む有志5名が2012年3月「あすけ聞き書き隊」を発足した。


活動を支える事務局の仲間と一緒に

 

高木さんが担っている事務局の仕事は、聞き手が作成した原稿の校正、編集、印刷会社への手配、お金の管理など。そして高木さん自身も聞き手として今まで6名に取材をしてきた。

 

インタビューをさせてもらう相手は、足助地区で農(養蚕・田・畑・牛耕・結いの田植えなど)、山(木こり、木出し・売る、炭焼き、山菜、きのこなど)、川(鮎つりなど)、職人(竹細工などのもの作りなど)、郷土料理、町の暮らし(芸者・銭湯・映画館)、商売屋などに従事していた方や、その分野に詳しい方が多い。

 

取材では事前に準備した質問を聞いていく。質問の内容以外にも、話し手と聞き手の関係性で会話が形作られていく。聞き手は、レコーダーに記録したインタビュー内容を一字一句書き起こし、前後を入れ換えるなどの編集を加え、聞き書き作品として仕上げる。それをまとめ、聞き書き集として出版する。印刷費は豊田市の地域活動支援制度(わくわく事業)の補助金を利用している。

 

今年で10年目を迎えるこの活動をボランティアで支える高木さんにとって聞き書きの魅力は何なのか聞いてみた。

「インタビューの最中に相手の話がうまく聞き取れないこともあるし、1回では理解できない言葉が出てくることもありますが、基本的にあまり話を遮りません。録音を集中して何度も聞き直す根気はいるけれど誰にでもできるし、聞くと面白い話が出てくるんです。

 

もちろん戦中の壮絶な話もありますが、何気ない話の中にその頃の風景が見えてくるんですね。例えば昔は村芝居が盛んでそこで食べた割子弁当の味が今でも忘れられんっていうおばあさんの話。それから清流と渓谷の美しさを生かした神越渓谷のマス釣り場を発案して、有志で共同事業に参加した方とかね。今の自分の仕事の参考になる話もあります」

 

今年に入り新型コロナウイルスの影響が生活に出始めた頃からは、「情報に振り回されるのではなく、日々、目の前のことに向き合って、きちんと暮らしを積み重ねてきた話し手のことがよく思い出されます」と話した。

 

個人の人生記録から足助の歴史が見えてきた

 

これまでに『足助の聞き書き』に作品を掲載した聞き手は34名にまで増えた。そのうち、足助地区以外から参加している聞き手は23名いる。

 

聞き書き集を手に取った読者からは「昔のことを思い出しました。ありがとうございます。これからも活動を続けてください」、「あの時のことが走馬灯のように思い出されます。活動を応援しています」などたくさんの感想が寄せられている。

 

高木さんは、「読者の方の励ましや、事務局の仲間が頑張っている姿をみて自分も頑張ろうという気持ちになります。目標は100人の方に話し手になってもらうこと。個人の歴史の話を聞いているのですが、人数が多くなってくると、その人たちの人生が重なって、足助全体の歴史が見えてくるんです」と、継続することで見えてくる効果、広がりを話してくれた。

 

丁寧な対話の中に、答えの種がある

 

2020年9月のある日、高木さんの聞き書き取材に同行した。

 

「お邪魔します。お元気でしたか?」

「おう、よう来てくれた。あがっとくれ」

 

戦没者遺族連合会の足助地区の会長を20年務めている話し手の本藤庄一さんは奥座敷に笑顔で招いてくれた。縁側から心地よいそよ風が吹いた。

 

「来年は88歳になるだよ。あんたらにはわからんと思うけど、昔は日本は神の国って言われた。天皇陛下のために戦争に行っただよ。」

 

「農は国なりっていうくらい農業は大事なもんだった。米の価値はあった。戦後の農地改革があったのはわしが中学生のころだ。」

 

高木さんは本藤さんと向かい合わせに座り、うなずきながらじっと耳を傾けていた。

本藤さんは目を細くしながら過去の記憶をひとつひとつ丁寧に呼び起こして話した。

 

二人の打ち解けた笑い声が場の空気を満たし、話は尽きることなく続いた。

相手に向き合って、目を見て、集中して耳を傾ける。スピード感、手軽さとは真逆のゆっくりした時間。丁寧な対話で話し手から紡ぎ出される言葉だからこそ、書き手の心の中に深く残り、人生のふとした瞬間、迷ったり悩んだりした時に答えとなって現れてくるのではないだろうか。

取材風景を見て、高木さんが10年関わってきた理由がそこにあるような気がした。

 

■お知らせ■
『足助の聞き書き』第1集〜第8集は、リンク先のサイトからPDFを読むことができます。
本が欲しいという場合、以下の店舗で購入することが可能です。
店名:マンリン書店
住所:豊田市足助町新町2
電話:0565-62-0010
ホームページ:http://kuranonakagallery.com/
定休日:木曜定休、水曜不定休

高木伸泰(たかき・のぶやす)足助町則定(現・豊田市則定町)に生まれる。進学、就職により足助を出て暮らしていたが、結婚を機にUターン。その後、両親が経営する(有)タカキ工業を引き継ぎ、組み込みソフトウェア設計の仕事をはじめた。現在は、(有)タカキ工業代表取締役、(株)モーションインダストリー取締役。足助情報のネット発信を発端に、足助たんころりんの会、あすけ聞き書き隊、あすけ通信編集委員会等の地域活動に参加。

取材 庄司美穂

826 views

愛知県豊田市在住。1998年野生生物学を学ぶためにタンザニアのムエカ大学留学。卒業後、NPO法人中部リサイクル運動市民の会で環境教育部スタッフなどを従事。ほ...

プロフィール

ピックアップ記事

関連記事一覧

  1. この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA