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僕の原体験、絶望、そしてあさぷろ結成|なぁなぁ!田舎ってこんなに楽しいんだぜ!第2話

コラム

はじめに

 

お久しぶりです。あさぷろ代表の上田です。前回はあさぷろとはどんな団体かというところを軽く説明して終わってしまいました。よって今回はあさぷろが始まった経緯、なんで名古屋の大学生が旭で活動しているかを僕、上田光太郎の目線からお話ししたいと思います。僕の自分語りが続きますのでご容赦ください。


キャンプファイヤーイベントの時のあさぷろ。

 

幼い頃から田舎が好きだった。

 

僕は母親が旭地区出身ということもあり、お正月やお盆には必ずと言っていいほど旭の小渡に行っていました。その中で僕の少年時代の原体験はほとんど旭での記憶になっていたのです。例えば夏は川遊びを矢作川でしたり、カブトムシ獲りを旭高原元気村でしたり。

何よりも覚えているのは小渡天王祭のこと。夜の小渡商店街、オレンジの街灯が幻想的な雰囲気を出す中、「おいさぁおいさぁ」と唸りながら2メートルくらいの松明を担ぎ、目の前を走り去るふんどしの男たち。

なんなんだこれは。と僕は幼いながらに思いましたが、気づけばノリノリで男たちにホースで水をかけていました。のちに自分も松明を担ぐことになるのは別の話。

ここ数年はコロナで天王祭を見られていませんが、今年こそはと期待しています。もちろん松明担ぐつもりです。

話がそれましたが、僕は小さい頃から旭地区が大好きだったのです。というより、僕の第二の故郷のような存在でした。

天王祭の松明の風景

 

「僕は今、生きている価値があるのか?」

 

僕が大学生になってからのことです。中学、高校はバスケ漬けの毎日だった僕でしたが、大学に入って突然自由が手に入りました。部活も入ってはいましたが、週三日しかないので今までのようなバスケ命!のような生活ではありません。当然、遊び遊び、たまにバイトの日々。典型的な大学生という感じでした。

そんな遊び呆けていた大学2年生の春に、突然襲い掛かったのが新型コロナウイルスの流行です。家でゲームをするしかない状態に追い込まれた僕。初めの方は学校に行かなくていいのかと喜んでゲームばかりしていましたが、自粛生活が長期化するとともに僕の精神は病んできました。「僕は今、生きている意味があるのか?」

なんて大袈裟な。と、今なら笑えますが当時はガチで落ち込んでいました。そこから親と話したりしてなんとか立ち直り出した僕は、次は今のだらけ切った自分に対しての嫌悪感に陥りました。非常にめんどくさい上田光太郎。

旭高原ではしゃぐ僕たち。

 

過去の自分に負けたくない

 

今の自分に嫌悪感を感じていたのは高校生の時の自分と比べていたからです。忙しくても輝いていた高校の時の自分から、暇なくせに家でゲームしかしていない自分への落差に絶望しました。「こんなはずじゃなかったのに。」このままでは学生生活を棒に振り、就職も失敗してしまうと思った僕は、将来のことをついに考え出し、就活に向けてとりあえず動いてみようと思ったのです。

当時の僕には「企業に就職する」以外の人生の選択肢は全く見えていませんでした。この時、大学二年生の5月。むちゃくちゃ意識高い人みたいですね。

バスケイベントの上田。子どもに愛されてます。

 

行動してみて気づいたこと

 

そこで僕がとってみた動きは、何かしらの企業のインターンシップに参加してみることと、僕の知り合いのツテで面白そうな人に話を聞いてみることでした。例えば大学生で世界一周した人とか、学生でITベンチャー立ち上げた人とか。

それらの行動をしてみてとにかく思ったのは、あまりにも僕は世の中を知らなさすぎるということでした。もっといろんなことを経験して知っていかないとさすがにまずいなと思ったのです。

そこで僕は、経験値を得るためにとりあえず休学して就活までのタイムリミットを伸ばそうと決めました。何もすることが決まっていないのにも関わらずです。よく両親は許可を出してくれたなとは思いました。友達にも困惑されましたが、特に否定されることもなく、なんなら面白がってくれました。僕は身の回りの環境には恵まれるタイプです。

当時の頭の中には旭地区と関わることは全くありませんでしたが、ある思いつきから旭との関わりへの一歩が踏み出されるのです。


旭高原で撮った星空。美しい。

 

よし、おばあちゃんちの和菓子屋のECサイトを作っちゃおう!

 

休学中何をやるのかを考えていた僕は、たまたまお世話になっている人から「ECサイトを作って見たら?」という提案をされました。これは特に怪しいビジネスの勧誘とかではなくて、自分でビジネス経験積んでみたいというような話をしたときに、そんな話をされただけです。何も教材などは買っていません。

何か僕から売り出せる物はないかなとぼんやりしていたとき思いついたのがおばあちゃん家の和菓子屋でした。本当に最初はそんな軽い気持ちで始めた活動でしたが、思っていたよりもはるかに大変な作業でした。ですが、さまざまな方に助けてもらってECサイトは完成。

売上という面ではそこまで顕著ではありませんでしたが、僕の中ではこの経験が大きな転機となりました。和菓子屋に何度か打ち合わせに行ったりしていくうちに旭にいる親戚たちに対しての感謝の気持ち、そして先程話した子供の時の原体験を思い出すようになったのです。

右上祖母、左上祖父、右下姉、左下僕。

 

やっぱここ好きだな。

 

そこから僕は和菓子屋だけでなく、旭地区に対して何か貢献できないかなと思うようになりました。もちろん僕の休学生活をかけてたくさん経験値を得たいと思っていた面もあります。

そして僕は突然旭観光協会さんにメールを送りました。「大学二年でインターン」、「突然の休学」に次ぐ三つ目の謎行動です。ですが、その行動に踏み切ったことで旭との関わりが生まれました。観光協会の方は本当に優しくて、こんな何処の馬の骨かもわからない僕の話をちゃんと聞いてくれました。後で話を聞くと誰だこいつはと不審に思っていたそうです。

僕が好きな風景。

 

あさぷろ結成

 

そんな話を友達に話すと、面白がってくれて仲間になってくれました。そして仲間になった友達の友達、の友達がさらに仲間に加わり、あさぷろという団体が結成しました。あさぷろという団体名は、はじめは「旭地区創生プロジェクト」みたいなすごい仰々しい名前でした。しかし、よそ者の僕らが勝手に創生とか言っているのもおこがましいのと、もうちょっとゆるくありたいという思いから、徹底的にゆるくした「あさぷろ」という団体名になりました。某アイドルオーディション番組と似てて可愛いなと勝手に僕がつけました。

というわけで、旭観光協会さんが運営する旭照ラスの手伝いから僕たちあさぷろの活動は始まったのでした。そこからたくさん紆余曲折があり、イベント運営や商品開発などさまざまな方面にあさぷろは顔を出していくようになります。


あさぷろ最初にとった集合写真。

 

おわりに

 

僕目線から長々とあさぷろ結成までのお話をさせていただきました。お付き合いいただきありがとうございます。今この文章を旭地区の福蔵寺というお寺で書いています。僕は2022年から週5で旭地区に滞在することにしました。夜は信じられないくらい寒いですがなんとか生きて暮らしています。地域の方と触れ合ったり、田舎暮らしを体験したり、本当にたくさんの経験値を積ませてもらっている実感があります。楽しくて仕方がありません。

次回はあさぷろが実際にどんな活動をしてきたのか、経験値を積んできたのかを紹介していきたいと思います。

お楽しみに!

 

 

上田 光太郎

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あさぷろ代表。2021年現在、名古屋市立大学の3年生で、休学中。母が豊田市旭地区の小渡町出身で、祖父母が和菓子店を経営している。その店のネットショップを開発...

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