ふるさと旭、離れてみてわかること|なぁなぁ!田舎ってこんなに楽しいんだぜ!第5話
みなさんはじめまして!
あさぷろメンバーのゆうです。
前回までこのコラムでは、代表の上ちゃんからあさぷろの活動について紹介してきました。今回は、あさぷろメンバーである私より、旭やあさぷろとのこれまでの関わりや、私が今考えていることについて紹介していきます。
最後までお付き合いいただけますと幸いです。
自己紹介
京都大学法学部3年生の松井優(まついゆう)と申します。中学生までを豊田市旭地区(保育園に通っているときに豊田市に合併しました)にて暮らしました。
その後、進学を機に旭を離れ、現在は京都市内で暮らしています。
このコラムでは、現在までの私と旭のかかわりを中心に、私が今考えていることについて、お伝えします。
これまでに私の現在の活動や思いについて、「言語化することで誰かに伝える」という機会はほとんどありませんでした。読者の皆様に「旭の魅力」や「若者から見たふるさと・田舎のよさ」を伝えたいとの思いで、このコラムを執筆しています。
幼少期の旭での思い出
私の学年の同級生は、保育園が6人、小学校が5人、中学校が12人でした。現在の友人にこの話をすると、大体驚かれます。これより少ない人数の同級生だった友達に会ったことはまだありません(笑)。
右から3番目が私です。
学校生活の中でも、地域の方や、地域行事に関わる機会が毎年ありました。学校内外での活動を含め、旭で暮らした15年間には、私にとって忘れられない、本当にたくさんの思い出や経験があります。後述しますが、それらの経験は、現在の活動や進路選択にも少なくない影響を与えています。
ここでは、特に私が印象に残っている思い出をいくつか紹介します。
①地域のお祭り
「お祭り」と一口に言っても、旭では、旭地区全体、自治区、集落、学校等々、多様な主体が開催するお祭りがありました。上ちゃんもコラムで紹介していましたが、幼少期の私にとっても、「祭り」というのは日常生活から少しだけ離れた行事であり、季節を実感する特別なイベントでした。お囃子を練習し発表したり、盆踊りに参加したり、バーベキューをしたり、ビンゴ大会をしたり、松明行列を見学したり…。今でもその思い出は忘れられません。
現在は、旭においても、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で中止・延期となっているお祭りが多いと聞いています。感染症が早く収束することを願ってやみません。
②アドベンチャー
私が通う小学校では、毎年「アドベンチャー」という行事がありました。夏と秋に学年を越えた縦割り班で学区内の川や神社等の中から行く場所を決め、1日かけて遊びつくす、という非常に楽しいイベントでした。魚とりや魚つかみ、落ち葉を集めての焼き芋づくり、ディスクゴルフ、山の中での缶蹴り大会が印象に残っています。
③「旭中ふしぎ発見!」制作
中学3年生の総合的な学習の時間では、旭中学校の創立20周年を記念して、中学校の「不思議」についてインタビューや取材を行い、DVDを制作しました。私の出身の旭中学校は、公立中学校としては非常にめずらしい教科教室型が採用されています。体育館やプールも非常にユニークな構造となっています。
当時の町長さんをはじめとする関係者にインタビューを行い、このような校舎が建築された経緯や理由を伺いました。また、中学校のOB・OGや地域の方から旭中学校との関りや思い出や、現役生徒へむけたメッセージもいただきました。完成したDVDは、地域の方に配布しました。
中学校に込められた旭の方々の思い、そして、地域の方とともに歩んできた旭中学校の歴史について、中学生ながら感じていたことをはっきりと覚えています。このコラムを書くにあたって、改めてDVDを見返し、当時のことを思い返していました。
もしご覧になりたい方がいらっしゃいましたら貸し出しますので、あさぷろのインスタまでご連絡をお願いします(笑)。
他にも紹介したい思い出・体験は数多くありますが、コラムが終わってしまいそうなので(笑)、このくらいに止めておきます。
ここで紹介した思い出の共通点は、「当時は当たり前だと思っていた」ということです。
月並みな表現になってしまいますが、旭を離れ、都市部に暮らし、学校生活を送るようになった後、初めて、「旭での経験は決して多くの子供たちが体験できることではない」、ということに気づくことができました。
ふるさとを離れて~高校・大学生活~
高校へ進学した際には、「1クラスが40人」という事実に衝撃を受けました。頭ではわかっていても、実際にその光景を目の当たりにし、学校生活に慣れることには、相当の時間がかかりました。
高校では部活動や学校行事、勉強に力を入れていたこともあり、旭のことや将来のことを考えることはほとんどありませんでした。
大学に進学後、自分の自由に使える時間が増えました。ここまで紹介したような幼少期の体験や思い出が忘れられず、将来的にそのような活動に携わりたい、また、旭にも何かしらの形で関わりたい、という漠然とした思いを入学当初より抱いていました。そこで、大学の課外活動にて、まちおこしや地域づくり活動に携わるようになりました。
これまでに兵庫県洲本市、京都府福知山市、京都府宮津市で継続的に活動に携わってきました。それぞれの地域において特徴や良さを感じてきました。同時に、たくさんの方にお世話になり、地域の方と協働することで活動を進める楽しさを知り、多くのことを学ばせていただきました。本来であればそれぞれの地域での活動についても紹介したいのですが、紙幅の関係上、省略させていただきます。
淡路島・洲本市で企画したワークショップの様子
再び旭へ ~あさぷろへの参加と関わり~
私があさぷろに関わるようになったきっかけは、高校の友人から昨年の4月に、「松栄軒の孫が旭で何かしたいと考えていて、旭出身のゆうくんに一度話を聞きたい!」と連絡をもらったことでした。そこからとんとん拍子に話が進み、現在まで毎週のミーティングに参加し、定期的に旭での活動にも参加しています。活動の詳細については、過去のコラムをご参照ください。
あさぷろへの参加は、コロナウイルスの感染拡大が無ければありませんでした。上ちゃんが団体を立ち上げたこともそうですが、京都からオンラインでミーティングや打ち合わせに参加するということは、コロナ前では考えられないことでした。2年前に同じような話を持ち掛けられていたとしても、対面での活動ができなければ、あさぷろへの参加はありませんでした。現在は大学でも、オンライン講義は当たり前になりつつあります。対面でのコミュニケーションが制限され、多くの人と人との物理的・精神的なつながりを分断したコロナ禍をきっかけとして、あさプロに参加し、再び旭と関わるようになったことには、何か不思議なめぐり合わせを感じています。
まず何よりも、あさぷろでの活動は楽しいです(笑)。旭に住んでいた当時は、自分が住んでいる周辺(旭では集落や自治区が該当するでしょうか)で生活が完結してしまい、旭の中の他地域を訪れたり、関心を持ったりする機会は滅多にありませんでした。旭を数年間離れていたこともあり、住んでいた時には気づくことがなかった魅力や、新たな発見の数々があります。
活動のなかでは、不思議な「ご縁」を日々感じています。先述のあさぷろへの参加経緯もそうですが、つくラッセルの戸田さんをはじめ、旭に住んでいたときにお世話になった方に再びお会いし、お話を伺う機会も何度もありました。あさぷろの活動でお世話になっている方々も、見ず知らずの私たち大学生を受け入れ、継続的に活動のサポートをいただいております。本当に感謝しかありません。
さらに、私が旭を離れた後、旭に移住された方との出会いや、新たなイベント・施設の存在を知ることもたくさんありました。大学生となったからこそ、また、一度旭を離れた今だからこそ、活動の先進性や意味に気づくことも数多くありました。
また、私にとっては、あさぷろが旭に帰ってくる大きな理由となっています(笑)。これまでもお盆や正月には旭に帰省していました。しかし、実家に帰ってきても意外とやることがなく暇だったので、これまで旭に帰ってくることはあまり多くはありませんでした。
この経験をもう少し広げて考えてみると、一度ふるさとを離れてしまう(あるいは疎遠になってしまう)と、帰ってくる機会ももちろんですが、地域コミュニティーに再び関わる接点(システム)が想像以上に少ない、ということがいえるのではないでしょうか。旭や田舎に興味を持っている若者・学生を含め、あさぷろには、その「受け皿」となる可能性があると感じています。
私が今思うこと
私は今、大学3年生です。進路を決め、就職活動に注力する同級生や同期が少なくありません。手前味噌ですが、私の周囲には優秀な友達や先輩・後輩が本当に多いです。決して大げさな表現ではなく、将来の日本・これからの社会を支えていく友人と出会い、日々大きな刺激を受けています。
その一方、大学に進学して以来、うえちゃんと同様、私の価値観も幾度となく揺さぶられてきました。巷では、特に就職活動の文脈で「年収○○万円」「幹部候補採用」といった言葉をしばしば耳にします。少なくとも私は、これらについて、進路を考えるうえでの「軸」とすることに疑問を抱き続けていました。
もちろん、生活のための稼ぎは必要であり、自分の仕事や業務に対して正当な評価や報酬を得るべきだと思います。その一方、コロナ禍において大学生活を送る中で、日常生活のありとあらゆる「当たり前」が変わってしまった今、収入や名誉、地位といった価値は本当に大切なものなのか。自問自答を重ねる日々を過ごしてきました。
そんななか、私が確かに感じていること。それは「何が幸せであるのか。どのような人生が幸せであるのか。自分で考え、行動し、探し出すしかない」ということです。不確実性の時代と言われる現代において、数少ない確かなことだと私は思っています。
そして、あさぷろの活動の中で、旭に暮らす方々にお話を聞き、日々の暮らしの様子について学ぶにつれ、その「ヒント」が隠されているのではないか、と思うようになりました。豊かに生きるための方法や手段、幸せとは何か、なぜ旭で暮らすのか。価値観や、それを実現するための手段は全く異なるにもかかわらず、私の目からは旭で暮らす方々が、「豊かに」日々を暮らす術を知り、それを実践されているように思えるのです。それは、決してお金や名誉という軸で捉えられることではありません。あさぷろでの活動を中心に、その「ヒント」をもう少し、旭で探すつもりです。
具体的な私の進路や将来のことについては、またどこかで機会があれば、ご紹介します。
終わりに
最後に、2つのことを読者のみなさんにお伝えし、このコラムを終わりにします。
1つ目は、「なぜ若者・大学生が旭(地域)に関わるのか」ということです。最近、友人とこのテーマについて話していたところ、次のような意見があがりました。
「田舎を訪れ、そこに住む方やそこで活動される方にお話を聞くだけで、いいですよね。」
帰ってくるたびに「あ、やっぱり旭っていいな」と思う瞬間がいくつもあります。その積み重ねが旭に関わりたいと思う最大の理由・魅力ではないでしょうか。あえてその理由を言語化するならば、豊かな自然とリフレッシュできる環境、空気感、ご近所づきあい、顔の見える関係性、独特の時間の流れ、年中行事、と表現できると思います。これらはすべて私の主観であり、暮らす人・関わる人、それぞれにとっての「魅力」があるはずです。さらに、それぞれの地域で異なる「魅力」があるはずです。
このような旭の魅力に惹かれ、私はこれからも継続的に関わり続けたいと思っています。同時に、私の友人を含め、多くの若者にこの「魅力」を伝えていきたいです。
2つ目は、旭で耳にした忘れられない言葉についてです。
先述の「旭中ふしぎ発見!」の制作過程の中で、校舎の建設にも関わった旭中学校の元校長先生から、以下のような言葉を聞きました。
「村をすてる学力」
旭町として、観光や産業振興はもちろん、特に教育政策を重点的に取り組んでいく必要がある。そこで、教科教室型の立派な校舎を建築し、特色ある教育活動も行った。そうすることで、生徒の学力はみるみる向上した。高校、大学と進学するようになった結果、多くの生徒が旭を離れてしまい、大人になってから帰ってくる生徒もほとんどいなかった。村の将来を担う人材を育成する学力となるはずが、村を捨てる学力となってしまった、と。
中学生であった当時はもちろん、現在まで、そしてこれからも忘れることはない言葉だと思います。私が進学するにつれて、この言葉の通り、旭と疎遠になっていくことで、余計にもどかしさを感じ、強く意識するようになりました。
一方で、この言葉は、私がこれからの人生にて考え続け、取り組むべき「宿題」のようなものであると捉えています。高度経済成長をきっかけとし、若者が地方から都市部へ流入し、現在まで地方で人口減少・過疎化が急速に進行していることは、もちろん旭に限った話ではありません。あさぷろが掲げる「関係人口」という関わり方をはじめ、「旭にUターン・Iターンによって移住する」ことが唯一の解決策でもないでしょう。この宿題を解くことには相当の時間が必要だと思います。
もしかしたら、答えなど存在しないのかもしれません。
それでも私は、旭の方々の暮らしの術や知恵をお借りし、また、あさぷろでの活動を通して、これからもこの難問に取組んでいきます。
つくラッセルにて
これで本当に最後になりますが(笑)、改めまして、いつもあさぷろの活動にご理解をいただき、支援・サポートをしていただく旭のみなさまには、感謝の気持ちでいっぱいです。私たちの活動は短期的に目に見える成果が生まれるものではないですし、継続性や学生の人数など、課題も数多くあります。これからも長い目、そして、温かい目で見守っていただけますと幸いです。
このコラムを読まれているみなさまとお会いできる機会を心待ちにしております。その際は、ぜひお話を聞かせてください。コラムへの感想もお待ちしております。
それでは、またどこかでお会いしましょう!
松井 優
423 viewsあさぷろメンバー。現在、京都大学法学部4年生。旭で生まれ、中学生までを旭で過ごす。大学進学後、サークル活動等を通して、複数の地域に関わりを持ち、活動を続けて...
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