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アーティスト・安藤卓児さんに聞いた【コロナ、みんなの現時点】感じる瞬間にしか自由はない

インタビュー

愛知県に緊急事態宣言が出たのが4月10日。豊田市での感染者数は、8月18日現在で160人を超えている。コロナウィルスに影響を受けた状況・受け止め方は刻一刻と変わっていくに違いない。だからこそ時間的流れのなかでの今、【現時点】を記録しておきたい。豊田市で暮らし、働く皆さんにお話しを伺いました。

安藤卓児(あんどう・たくじ)愛知県豊田市出身、在住。幼少時よりアートに親しみ大学在学中よりアート活動を行う。2010年からパリへと拠点を移し、自身の個展では、キュレーション・作品制作・販売までを一貫して自分で行い、各種イベント・美術館などでの音楽活動も並行して行う。2015年帰国後に自然との関わりの中から芸術活動を行いたいと、祖父母の古民家をリノベーションし、自然栽培による田畑の再生、里山の間伐や利用など持続可能な暮らしを模索する中で、自然から得たインスピレーションを元に国内外でアート活動を行う。最新の情報はインスタグラム@tkzand @takuji_ando ホームページから http://takujiando.com/


 

出ていくお金をセーブし
自給する暮らしとミックスしながらサバイブする

 

―まず、お仕事について教えていただけますか。

アーティストです。子どもの頃から絵を描いたり、ものを作ったり、表現することが好きでした。僕にとって、アートは人生のほぼ全てと言ってもいいので、まずはそこに全てを注いでから逆算して生活設計を考えています。仕事、というとそれで生活を成り立たせているのかが気になるかもしれません。そういう意味では、その途中にいると言えます。

一般的に、アート販売はコマーシャルギャラリーというお店を通して行われます。そういう店は、ほぼ東京に集中している。加えて日本では多くの人がアートで生計を立てるということが不可能という認識を持っています。だから作品を売って生活を成り立たせているというアーティストは日本に極めて少ないです。

 

だからといって、僕はアーティストとして作品の販売でお金を稼げなくてもいいと思っているわけではありません。去年あいちトリエンナーレ2019に参加したことがきっかけで東京にあるスクールで学んだアーティストたちの存在を知りました。自分を更にステップアップさせようと、この春に受講を始めました。後々は東京のギャラリーともコネクションを作っていきたいなと考えていますが、一方でそこで稼ぐことに依存しすぎないように、独立した形で自分で販売することの必要性を感じています。

 

3年くらい前に小原地区に拠点を移し、祖父母の家を改築して暮らしています。米や野菜を作ったり、山の木を伐ったり、物々交換のようなこともしています。アートで稼ぐ方法を模索し、出ていくお金をセーブし、自給する暮らしとミックスしながらサバイブする、生き残る技術を高めているところです。

 

畑仕事に精が出た、田んぼの除草も
頑張れたという手ごたえ

 

―コロナで受けた影響にはどんなことがありますか?

田舎に住んでいるので、コロナでも暮らしはほとんど変わっていないです。むしろ畑仕事に精が出たとか、今年の田んぼの除草は頑張れたなという手ごたえがありました。加えて、社会的な活動が停滞して展示がすべて中止になったことで、作品制作に向き合える時間が増えました。

 

去年は展示の回数が多くても、あまり手間をかけられずに出すものが多かったので、褒めてくれる人がいても、自分としては不本意でした。もっとちゃんと勉強して、もっと作品に向き合いたいという想いが募っていたところでのコロナ禍なので、どちらかというと時間ができたことは「よし!」っていう感じですね(笑)

 

東京のスクール受講も、毎週現地まで通う予定だったのですが、Youtube配信とZoom授業になりました。これについても正直悪くないなと思いました(笑)でも、ひとつ困ったのは、受講生どうしのつながりです。Zoomで初めましてと出会って、画面を通してコミュニケーションするって難しいですよね。

 

自分にとって本当に大切なものは、
家族や身近な存在

 

今、コロナにリンクした作品を制作しているので、そういう面では影響があります。現代においての宗教絵画のような作品を制作していますが、主題にしているのは聖母子像と観音像が合体したような、妊婦であり、子どもを抱いた女性像です。そこから植物の枝のようなものが無数に伸びていて、色々な神々や自然から着想したイメージが有機的に結びついています。

 

妊婦と子どもは、自分の妻と娘から着想したモチーフです。自分にとって本当に大切なものは、家族や身近な存在であり、ある種、神であるともいえる。僕は、神というのは遍くすべてのものに存在していると考えているので、人間も神であると考えてもいいと思うんです。絵の中では良い神と悪い神が画面上で対比的に描かれているけれど一つに融合している。発表前なのでまだお見せすることはできませんが、10月ごろに東京や愛知でも展示する予定です。

 

 

感じる瞬間の中にしか自由は存在しない
それをどうやって見つけるか

 

―この状況について思っていることを教えてください。

コロナ禍がすぐに収束するとは思っていません。コロナ以前の生活には戻らずに常態化すると思っています。そういう時代に人々が対応せざるを得ない。そうなると自由や人権に対しての制限が厳しくなってくるかと思います。そういった状況下では、自分たちがいかにして喜びを見つけたり、息抜きしたり、隙間を見つけたりするかが大事になってくるのではないでしょうか。

 

僕のようなタイプのアーティストはそもそも作品制作で籠っているし、人とも頻繁には会っていなかったので、現在のような状況にも耐性があります。どのような状況の中でも遊びや自由を見つけるのが得意なのがアーティストであるともいえます。コロナが無かったとしても、お金、社会的ルール、地域など様々な制限がある中、自由はどこにあるのか。絶対的な自由である死を除いたら、何かを感じる瞬間の中にしか自由は存在しない。それをどうやって自分で見つけるかが今後問われていくと思います。

 

僕はここの土地とつながっていることで充足感を「感じる」ことができます。田んぼや畑に触れるという手ごたえで「今」にフォーカスすることができます。先祖から受け継いだこの環境に感謝しています。

 

 

どこにいても不自由はある
その上でどちらを選択するか

 

東京のアーティストと交流があるんですが、彼らの中にはアトリエのような制作する場所が無い人もいます。この間、「6畳のアトリエを3万円で借りる」という話を聞いて、こちらとしては「3万円をどうやって捻出するのだろう?バイトを増やすのか?」と心配になるわけです。都会は生活コストが高くて、スペースも少ない。一方、小原にある僕の住む土地では空間・場所は無限に近いほどあります。じゃあ田舎が理想郷かと言えば、広大なスペースがあることで草刈りなどの生活労働に苦しんでいるし、地域のしがらみなどネガティブな要素もある。

どこにいても不自由はある。その上でどちらを選択するか。これからは自分に合う暮らしを探して選ぶことの価値がますます高まっていくと思います。これまでの日本は「こういう働き方・暮らし方をしていたら何とかなる」ということがある程度担保されていました。随分前からじわじわと、その担保は怪しいかもしれないという気配が漂っていましたが、コロナ禍では、そのような指針は当てにならないという段階に来ていると感じています。

次の時代の泳ぎ方を自分なりに見つけていきたいと思っていろいろと動いているところです。
アートに関しては、自分の作品の客観性を保ち、言葉で説明するためのアーティストステートメントを集中して書いています。コロナ以降の展示では、画面越しに作品を見てもらうことが増えると思うので、ただ「感じてください」で終わらせるのではなくて、言語化した情報を添えることで、より作品を理解してもらうためのきっかけになればと考えています。
その他には、動画配信や、オンラインストアをやっていくことも計画しています。

 

暮らしについては、今後はソーラーパネルと小水力発電で電気の自給にチャレンジしたいですね。これまでに使っていなかった井戸、山で木を伐って薪に使うこと、自然栽培の田んぼを復活させました。課題はその全てをどう楽しいレベルまで省力化するかですね。現在、生活労働が増えすぎて辛いレベルに来ていますが、アート活動ができなくなっては元も子もないので(笑)

取材 きうらゆか

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1979年生まれ。とよたとつながるローカルメディア縁側編集長。おいでん・さんそんセンターコーディネートスタッフ。2014年、名古屋市から豊田市旭地区に拠点を...

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