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ガラ紡がくれたご縁|おじいちゃん、おばあちゃん、わたしもガラ紡やります!第3回

コラム

祖父母のガラ紡工場は、2006年に取り壊しました。ガラ紡機は資料館に行きわたりました。当時の私は工場が消えていく寂しさはあったものの、ガラ紡をやろうという意思は微塵もありませんでした。更地となった土地は、今ではうっそうと雑草が生えています。水車があった深い水路はイノシシの通り道になり、もはや崩れてしまいました。

かつて水車の風景として愛されていた滝川沿いのガラ紡工場は、「夏草や兵どもが夢の跡」です。
私の中に残っているものがあるとするならば、当時のガラ紡工場の音、においと風景だけです。

まったくゼロの状態で、私にガラ紡の何ができるのだろうか。とても見当がつきませんでした。気持ちばかりが先走るなか、移住準備と並行して、ガラ紡の施設や資料館をまわり、関係する方々に会いました。その出逢いが、次の出逢いにつながりました。

 

今回のコラムは、ガラ紡がつないでくれたご縁について紹介します。

 

「いつか出会うと思っていました」 ファナビス 稲垣光威さん

 

まずは、ガラ紡をなりわいにされているファナビスの稲垣光威さんです。

ガラ紡について調べていくと、稲垣さんの名前を何度も聞きました。

2012年10月、たまたま岡崎の奥殿陣屋でファナビス展示会があると知り、訪ねました。お会いするや、トレードマークのハンチング帽と黒メガネに魅了されました。展示されていた商品の数々はガラ紡糸が使われていました。ガラ紡製品といえば、フキンしか知らなかった私には新鮮でした。

稲垣さんは初対面ながら、アポなしの訪問を歓迎してくださいました。それをいいことに、私の妄想が次から次へと口をついてでてきました。代々続いたガラ紡が優れたものだと知ったこと、綿畑とガラ紡をいかした里山を松平でつくりたいこと、大給城址を子どもたちが遊べるような里山にしたいことなど。

優しい笑みを浮かべて面白そうに聞いていた稲垣さん。もともとアパレル業界にお勤めで、ご実家はガラ紡を営まれていたとのこと。稲垣さんは「私も7年前にガラ紡で走り出してしまったのです。まさにマジで、きれたんです」。『本気布』(マジギレ)と名づけた洒落が意気に感じました。(『本気布(マジギレ)』とは、稲垣さんが扱う『がら紡布』を『ひなた染め』したエコロジカル・ファブリックです)

「いつかあなたのような方と出会うと思っていました」という言葉に甘え、稲垣さんが開催する糸、綿、組紐のワークショップに何度も足を運びました。全く縁のなかった繊維の世界を深めていきました。しだいに、豊森なりわい塾での稲垣さんの布の講座に「卒塾生&稲垣さんのアシスタント」として参加するまでにいたりました。

 稲垣さんとの出逢いが、ガラ紡をはじめるにあたっての道しるべとなっています。

 

ガラ紡機を製作 工房木輪 春山京司さん

 

ガラ紡を妄想していても、肝心のガラ紡機がなければ、先に進めません。ガラ紡熱にうなされていた私に、「全国コットンサミットで手回しガラ紡機が展示されていたよ。連絡先を聞いたから」と知人から連絡がありました。

2014年11月、蒲郡市で開催されたコットンサミット。参加がかなわなかった私に、とても朗報でした。さっそくガラ紡機を製作されている工房木輪の代表、春山京司さんを静岡市まで訪ねました。ご自宅の一室に手回しガラ紡、電動式ガラ紡、合糸撚糸機が並んでいました。春山さんは、数年前に開催された蒲郡市でのクラフトフェアで手回しガラ紡機をみて、興味が湧いたそうです。

設計図をもとに、ご自身で改良しながら製作。ガラ紡工場を見学されたことがないとはいえ、完成度の高いガラ紡績機に驚きました。さっそく製作をお願いしました。出来上がったときには丸一日かけてレクチャーをうけました。私の手元に、いとおしいガラ紡機がやってきました。

 

綿繰りと糸紡ぎと農福連携 特定非営利活動法人みち

 

それは豊森なりわい塾の卒塾生の集まりのときでした。私のもとに「ガラ紡について、聞きたいです」と女性がたずねてきました。6期生の今枝美恵子さんです。当時、デイサービス型の地域活動支援センター畦道の開所に奮闘されていました。

仕事として、綿繰りや糸紡ぎができないだろうかと相談をうけました。願ってもないことでした。まずは糸紡ぎのワークショップを開催して、仕事の可能性を模索しました。

2017年5月に今枝さんは特定非営利活動法人みちを開所。さっそく綿繰りやガラ紡の糸紡ぎを仕事としてお願いしました。以降、5年にわたって作業を依頼していますが、綿についた葉やゴミをとるのがとても丁寧です。今では、松平の綿畑で、春には綿の種まき、秋には綿の収穫と棉木の片付けを一緒にしています。

規模は大きくありませんが、「農福連携」を実践できています。綿畑の農作業を畦道さんの仕事づくりと組み合わせることで、里山づくりに可能性を感じています。

 

ガラ紡糸が布に 社会福祉法人オンリーワン

 

ガラ紡機で糸を紡いだとしても、布にするには「織り」が必要になります。織り手を探していたときに豊田市柿本町にある社会福祉法人オンリーワンさんと出逢いました。ガラ紡糸で商品を作られています。

オンリーワンさんは、機織り機を使っています。たて糸にも、よこ糸にもガラ紡糸です。ペダルを踏んでたて糸を上下に動かし、その間にシャトルでよこ糸を通し、バーを手前に倒して整えます。布づくりの原点をみる作業です。

オンリーワンさんで、試しに織ってもらいました。もっとも心配なのは、途中で糸が切れてしまうこと。ガラ紡糸は、よりの甘さと不ぞろいなのが持ち味です。後日に布が完成したと連絡があり、織りたての布を手にとると、「わぁ」と大きな声を出してしまいました。見事な織りです。ガラ紡糸の特徴そのままの布です。私の妄想が形になった瞬間でした。

オンリーワンさんの工房は、トヨタ自動車の元町工場西隣にあります。トヨタ自動車といえば、グローバル資本主義をけん引する、世界ナンバーワンの企業です。オンリーワンさんは、そのトヨタ自動車のすぐ足元で、ガラ紡というムラがあり弱い糸で布を織っています。効率や画一とは相いれません。ナンバーワン企業の足元で、オンリーワンの布が織られる営みに大きな意味があるように思えます。

 

学びとつながりのベースに 豊森なりわい塾

 

数々のガラ紡の出逢い。そのベースには、豊森なりわい塾の学びとつながりがあります。豊森なりわい塾を初めて知ったのは、ファナビスの稲垣さんの紹介でした。2013年度に3期生として入塾。1年かけて、山里でのくらし、かせぎ、つとめについて24人の仲間と深めました。


卒塾の翌日、私は住民票を名古屋から正式に松平地区へ移しました。卒塾後も期を超えてつながりがもてていますが、出逢うたびにガラ紡の展開のヒントが化学変化のように生み出されています。

 

まったくゼロから始まったガラ紡の営み。一歩ずつ踏み出すことで、つながりが紡がれていきました。私のガラ紡は、まだまだ熟練が必要です。とても織ったり編んだりして形にするような水準には達していません。しかし、確信しているのは、「出逢いとつながりが、ガラ紡の未来をつくっていく」。まだ出逢えていない多くの方々とともに、これからガラ紡を紡いでいく予感がします。

野々山大輔

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1971年生まれ。2014年に名古屋から松平地区へ移住。明治時代より続いたガラ紡工場の孫(工場は2000年に廃業)。大給城址のふもとで里山暮らしをしつつ、ブ...

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