• HOME
  • 記事
  • コラム
  • なぜここに?高所金庫の謎を解く|足助重伝建地区選定10周年コラムvol.1

なぜここに?高所金庫の謎を解く|足助重伝建地区選定10周年コラムvol.1

コラム

はじめに

こんにちは!足助地区の則定町で暮らしている高木伸泰です。
『縁側』では、あすけ聞き書き隊事務局としての活動をインタビュー記事で紹介してもらっています。

人生の大先輩の話にじっと耳を傾けるのはナゼ?10年間「聞き書き」を支える高木さんの想い。

 

足助の古い町並みは、平成23年(2011年)に、愛知県ではじめて国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定されました。
今年は重伝建選定から10周年ということで、足助まちづくり推進協議会に『重伝建地区選定10周年事業実行委員会』が設置されました。

▼足助重伝建地区選定10周年事業実行委員会HP
https://denken-asuke.jimdofree.com/

 

10周年事業実行委員会は、これまで地域づくり活動に関わりのなかった若い世代・女性に入ってもらい、この先10年の足助の町づくり全体を考える機会にしてもらいたいという趣旨で発足した組織です。毎月開催される会議で、10周年事業の検討、ロゴマークやキャッチコピー、ポスターの考案、足助の町並みの良さを伝える本の企画等が進められています。

 

私も、10周年事業実行委員会の支援員として、活動の記録と情報発信を担当しています。今回は、足助地域会議の地域予算提案事業として、U・Iターン促進を目的に10年間発行している『あすけ通信』の編集委員という立場での参加となります。

 

▼足助とつながる情報誌 あすけ通信(豊田市HP)
https://www.city.toyota.aichi.jp/shisei/jichiku/1008649/1013511/1031862.html

本コラムでは、『あすけ通信』の表紙写真を担当してくれている鈴木悠太さんにも協力をお願いし、10周年事業実行委員会で挙げられた、『足助の町並みにある紹介したい“モノ”』について4回に渡って綴りたいと思います。

足助中馬館の『高所金庫』

 

昨年6月に開催された第3回実行委員会議で、『足助の町並みにある紹介したい“モノ”』についての情報が、実行委員のみなさんから寄せられました。

▼第3回実行委員会議の動画紹介(YouTube)

 

まずは、その中から『高所金庫』について紹介します。

実行委員の方から紹介してみたいところとして挙げられた『高所金庫』の情報は「中馬館の横を抜け、中央駐車場に向かって行く左手の壁面に大きな金庫の扉があります。『なぜこんな位置に?』と、とても不思議な光景です。我が家では、これを『高所金庫』と勝手に名付けて読んでいます」というものでした。

 

私も「変なところに金庫の扉があるなぁ。どうやって使っていたのだろう?」と疑問に思ったことがあります。

 

ということで、あの『高所金庫』は何なのかを知るために足助中馬館に行ってみました。

 

足助中馬館

 

足助中馬館は愛知県指定有形文化財であり、足助の町並みの田町にあります。

大正元年(1912)に建造された旧稲橋銀行足助支店の社屋を使用して、昭和57年(1982)6月に開館しました。明治から大正にかけての地方銀行社屋の典型的な建造物です。商業・金融・交通・町並み等の資料が展示されています。

開館時間は午前9時~午後5時で、休館日は毎週木曜日(祝日・11月は開館)、 入場料は無料です。

 

『高所金庫』に通じる通路

 

足助中馬館の説明員の方は何人かいらっしゃって、交代制になっているそうです。何度か足を運んで『高所金庫』について伺ってみました。

 

最初に伺った方は、「外にある金庫の扉の詳しいことはわからないが、あそこに通じる通路について、中馬館が東海銀行だった頃に勤めていた方から聞いた」という話を教えてくださいました。

 

そういえば、確かに中馬館正面から中央駐車場に続く通路も、どうして作られたのか不思議ですよね。

 

あれ? ちょっとその前に…中馬館は旧稲橋銀行足助支店の建物でしたよね。東海銀行っていうのは?

稲橋銀行足助支店は、昭和2年に合併によって岡崎銀行足助支店になり、
その後、昭和20年の合併により東海銀行足助支店になり、
最終的には昭和40年に足助町農業協同組合が取得して昭和52年まで金融部として営業していたのだそうです。

金庫室は、昭和29年に増設されているので、東海銀行の時代ですね。外にある金庫の扉は、この金庫室に取り付けられているものですね。

説明員の方のお話によると「東海銀行の小使いさん(管理人さん)が住む家が裏にあったそうです。だからあの通路は、元々小使いさんや、ここに勤めてみえた方のための通路だったようです」ということでした。

 

また、中央駐車場に続く、田町小橋ができる前は、もっと下の方に橋があって、川の中にその痕跡が残っていると教えてくださいました。

 

東海銀行に続いて足助町農業協同組合の金融部として使われた後、昭和52年(1977)には、建物を取り壊して駐車場にしようという計画が持ち上がったそうです。

歴史的価値が高い建物を保存してもらうために『足助の町並みを守る会』が、足助銀座商業協同組合と話し合いを重ね、その結果、建物が無事に保存・活用されることになり、昭和57年(1982)6月に足助中馬館として開館したという経緯があります。足助中馬館は、そんな町並み保存活動の象徴ともいえる存在ですね。

 

『高所金庫』の正体

 

高所金庫については「あそこの窓というか、扉は金庫室から見るとそんなに高くないです。通気口とか非常用じゃないですか?」、「外から見ると厳重な金庫で、夜間金庫みたいな感じですよね。そういう用途に使っていたのかもしれませんが、実際に聞いたわけじゃないから…東海銀行に勤めていた方にもっと細かく聞いておけばよかったですけど」とのことでした。

 

窓ですか?

 

そう言われてみると、中から見るとどうなっているのかをちゃんと確認したことがなかったような気がします。

 

金庫室の中から見てみると、確かにそれほど高いわけではなく、窓のような位置ですね。内側には頑丈そうな鉄格子があるので、換気のための通気口としても使えそうです。

また、外の扉について「金庫の扉と同じでダイヤル錠と鍵穴があります。一番下が鍵穴になっています」と説明してくださいました。

 

よく見ると、下の方に2つの穴が付いた蓋のようなものがありますね。あれが鍵穴ですかね。

 

更に別の日に足助中馬館に行ったときには「あの金庫の扉は、以前は建物の中にあったのですよね」という重要な情報を伺いました!

 

平面図を見直してみると、『高所金庫』の場所は建物の中になっていますね。気づきませんでした…

 

『高所金庫』の場所にあった建物も、金庫室と同じような高さの床だったとしたら、金庫の扉はそれほど高い位置というわけではなかったのですね。『高所金庫』は、元々『高所』にあったわけではなかったということになりそうです。

 

そもそも屋内であれば、『高所金庫』の扉の存在は、それほど不思議なものではなかったのでしょう。

 

文化財課足助分室提供の『豊田市足助中馬館耐震改修工事報告書』という資料には、下記のような記述がありました。

 

金庫室前室及び金庫室の西側部分は建設当初から建物があり、昭和53年(1978)に前面道路と対岸の駐車場とを結ぶ田町小橋が建築された時に取り壊された。それから通路部が解放され、今も同じ使われ方をされている。取り壊された建物は、銀行時代に建物の管理人が住んでいた。”

 

田町小橋が作られたときに『高所金庫』を囲んでいた建物が取り壊されたのですね。そこに住んでいたのが、小使いさんだったということなのですね。住んでいたということは、夜間金庫のような使われ方もされていたかもしれませんね。

高木伸泰

445 views

足助町則定(現・豊田市則定町)に生まれる。進学、就職により足助を出て暮らしていたが、結婚を機にUターン。その後、両親が経営する(有)タカキ工業を引き継ぎ、組...

プロフィール

ピックアップ記事

関連記事一覧

  1. この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA