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香嵐渓に匹敵する歴史と景観の観音山|足助重伝建地区選定10周年コラムvol.2

コラム

こんにちは。足助地区の野林町で暮らしている鈴木悠太です。

今回は、足助重伝建選定10周年事業実行委員会で『足助の町並みにある紹介したい“モノ”』として取り上げられた中から、観音山について綴りたいと思います。

実行委員の方から寄せられた情報は「観音山周辺は、整備すれば伝建地区の景観が楽しめるスポットになると思う。狭いエリアに神社(御岳大神、稲荷社)や寺(観音寺)が密集しているので、好きな人が集まりやすい」というものでした。

観音山は足助の町並みの田町にあります。足助観光協会やツーリズムとよたのホームページには、「第二の香嵐渓とも呼ばれる、もみじの名所。山頂付近には観音寺があり、木造天部立像は豊田市指定文化財になっています」と紹介されています。

 

▼観音山(ツーリズムとよた)
https://www.tourismtoyota.jp/spots/detail/662/

私は足助地域会議委員(※)をしています。地域会議の話し合いの中で、同じく地域会議委員の近藤康次さんから「以前、観音山の整備に取り組んでいた」と聞いたことを思い出しました。(※豊田市では、地域社会の住民自治力(地域力)を高め、効率的に地域課題の解消を図るため、市民が委員となって参加する「地域会議」を設置している)

そこで今回近藤さんから観音山についての詳しいお話を改めて伺い、観音山の歴史について教えてもらうことにしました。足助にこんなにも魅力的な場所があるということを多くの人に知っていただけるように今回記事にまとめました。

JAあいち豊田足助支店のそばにある赤い鳥居を左手に、田町の奥へ5分ほど歩くと、左手に看板が立っています。そこを10分ほど登っていくと観音寺に着きます。15分もあれば散策できるかと思います。

高齢化に伴って手入れができなくなってきた

 

近藤さんは観音山のある田町ご出身です。高等学校の教員や県の教育機関で働き、平成13年頃に足助に戻ってきました。田町の活性委員会に所属し、観音山の整備事業に携わってきました。

豊田市の地域活動支援制度であるわくわく事業の助成を受け、山頂までの観音寺参道の整備、ベンチやぼんぼり(明かりを灯す行燈)の設置など行ってきました。

お城(大観音城)の奥までの整備を考えていましたが、わくわく事業の継続申請ができなかったため、参道のみで断念せざるを得なかったそうです。今は年に数回、自治会で草刈りをしている程度とのことですが、高齢化に伴い整備が行き届かなくなってしまっています。

第二の香嵐渓と呼ばれているように、秋の紅葉と景色が素晴らしく、魅力溢れるある歴史のある場所です。しかし観光シーズンになっても参道入り口手前にある、赤い鳥居から奥へ行く人はほとんどいません。近藤さんは「寂しい」と話していました。

 

近藤さんは、足助の旧商家・小出家として知られる小出さんからいただいたという観音山の歴史資料を見せてくれました。以下の文章はその資料などを基に書いています。

歴史を感じる城と寺

 

・大観音城
足助氏七屋敷の一つと云われる大観音山城。当時は岩崎城と呼ばれていたそうです。築城時期や城主など、詳細は不明ですが、同じく足助地区にある飯盛山城を本城(領主が本拠地としているお城)に置いた足助氏一族が守っていたと伝わります。

城山の南西尾根にある観音寺一帯が居館跡(城主が普段生活していた場所)の曲輪(城の1区画のこと)とされ、そこからさらに北東に伸びた尾根伝いに曲輪が連なり山頂に主郭が確認できます。

城を敵から守るための設備である堀切や土塁、土橋などが残っており、当時を偲ばせます。

(お城の用語が多いので、イメージしにくい方は、ぜひ検索してみてくださいね)

切岸(きりぎし)

土橋(どばし)

曲輪跡(くるわあと)

・観音寺

観音寺は足助の鬼門(邪気が出入りする方角)を守るため、江戸時代初期に建立されました。近藤さん曰く、「観音山は足助の鬼門の方角にあり、京都を守る比叡山に通じるものがある」とのことです。

江戸時代中期の富士山噴火までは天台宗の寺院でした。その後の経緯は不明ですが、飯盛山の香積寺十五代住職の時に曹洞宗となったと伝わっています。また他にも曹洞宗本山からみえた方が開山(位牌には「正徳」の年号)した説もあり、詳細は分かっていません。

香積寺の方が代々住職を引き継ぎ、最後は尼様が住職を務めていたそうです。歴代住職の中には明治天皇と深い関係を持った尼様がいて、天皇家の象徴である菊の紋様の入った位牌があるそうです。

本尊は等身大の十一面観音坐像で、それを守る四天王の二体(持国天と広目天)が豊田市指定文化財になっています。

 

また三河国准秩父参り(秩父まで行かなくても三河地域で気軽にお参りができるようにしたもの)の札所の第一番となっています。残念ながら現在札所は閉めてしまったそうです。以前はここをお参りすると、家出した人が見つかると云われ、白木綿一反を持って、お礼参りしたと伝わっています。

観音寺


石仏


観音像

 

まずは一度訪れて感じてほしい

 

数十年前までは、盆踊りや除夜の鐘付き、茶会、月見の会、花見の会など、様々な催しが行われていた観音寺。三河国准秩父参りの札所となっていたことから、多くの人が訪れていました。

 

また明治時代には、この地域を度々洪水が遅い、その度に避難場所となっていたそうです。戦前は一夜中灯りが絶えなかったというほど、にぎわっていた頃もあったようです。

 

今は訪れる人も少なくなり、閑散としています。また少子高齢化に伴い景観維持も難しくなってきています。魅力ある歴史も知る人が少なくなり、後世へつなげていくことが難しくなってきています。様々な課題はありますが、まずはぜひ足を運んでいただき、その素晴らしい景観を知っていただけたらと思います。

鈴木悠太

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1985年生まれ。2017年より新盛地区に障がい者福祉施設を立ち上げ、この地域だからこそできる活動を通し、病気や障害があっても安心して暮らし続けられる地域づ...

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