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縄文の宝庫・足助町に2体のビーナス!?|足助重伝建地区選定10周年コラムvol.4

コラム

こんにちは!足助地区の則定町で暮らしている高木伸泰です。

 

足助重伝建地区10周年コラムvol.1『なぜここに?高所金庫の謎を解く』では、足助中馬館に行って話を聞いたのですが、「足助資料館に行ってみれば、外にある金庫の扉のことが、もう少し詳しく分かるかもしれない」という情報を得ました。

 

このとき、足助中馬館では『あつまれ じょうもんの土器』というイベント名で縄文土器を展示中だったのですよね。

 

▼足助重伝建地区選定10周年事業『あつまれ じょうもんの土器』を開催!(足助観光協会)

http://asuke.info/event/nov/entry-2025.html

 

前の年にも縄文土器の展示をしていて『ジョウモンの奇妙な文様-刻むぜ 縄文のビート!-』展は、そのタイトルとチラシデザインが、漫画『ジョジョの奇妙な冒険』のオマージュではないかとネット上でも話題になり、「このチラシを見て来た」というお客さんも多かったそうです。

▼『ジョウモンの奇妙な文様-刻むぜ 縄目のビート!-』展を開催します!(足助観光協会)

http://asuke.info/blog/entry-2748.html

 

今回はゲームソフト『あつまれ どうぶつの森』のオマージュなのかな?

足助中馬館には縄文土器がたくさん並んでいたので「これは全部足助の出土品ですか?」と聞いてみました。そしたら「ここに展示してあるのは、ほとんどが寄贈品で、足助の物は足助資料館に展示してあります」ということでした。

これは、足助資料館に行ってみるしかない!…という流れで足を運んだ足助資料館と、足助の縄文遺跡を代表する今朝平(けさだいら)遺跡、そして今朝平遺跡から出土した縄文のビーナスを紹介します。

 

 

足助の縄文土器が展示されている足助資料館

 

足助資料館は足助小学校の横、足助中学校の下に位置しています。大正12年(1923)に建てられた愛知県蚕業取締所足助支所を利用して、昭和62年(1987)に開館したそうです。旧足助町内から出土した縄文土器、城跡公園足助城、三河土人形、三河漆をテーマに展示を行っています。

 

現在の開館日は土曜日・日曜日で、入場無料です。

▼足助資料館(豊田市)

https://www.city.toyota.aichi.jp/shisetsu/bunka/shiryousonohoka/1006110.html

足助資料館では、まず高所金庫のことを聞いてみたのですが、残念ながら新しい情報は得られませんでした。気を取り直して、足助の縄文土器を見てみようと第1展示室に行ってみました。

足助資料館の展示品は中学生のときに見た気がしますが、展示内容は記憶の彼方です。なんとなく「足助の縄文遺跡といえば今朝平遺跡だよね」と潜在意識に刻まれていたのですが、パネルを見てびっくり!

足助町には、縄文時代の遺跡が90か所以上あり、愛知県内では、縄文の宝庫と呼ばれています。
 

と書いてあるではないですか!!

 

縄文時代には、足助に住む人が多かったのですね。『重伝建地区選定10周年事業実行委員会』でも、過疎化の問題が話し合われていましたが、足助に住む人が多かった縄文時代に学ぶと良いのかもしれません。

 

さらに読み進めると、

草創期の遺跡は、愛知県では数えるほどしかありません。足助町では、則定本郷B遺跡(大字則定)と北貝戸遺跡(大字桑田和)から草創期の土器が見つかっています。
 

とのこと。

 

大字則定って現豊田市則定町で、私が住んでいるところですよ!縄文時代草創期は12000年前から10000年前だとか。

 

私の先祖は、そんなに前から則定に住んでいたのか?

いやそうとは限らないのか?

潜在意識に刻まれていた今朝平遺跡は縄文時代晩期(3000年前~2300年前)のものなので、縄文時代の中では新しい遺跡ということになりますね。それはともかく、一番記憶に残っている今朝平遺跡の展示を見てみましょう。

 

パネルには

今朝平遺跡は、足助川右岸の河岸段丘上に立地します。足助保健所の移転に伴い、昭和53・54年に発掘調査が行われ、東海地方では珍しい縄文時代後期の祭祀遺跡であることがわかりました。
 

とあります。

新しくても珍しい遺跡だったのですね。だから、足助を代表する縄文遺跡として記憶に残っていたのでしょう。

 

さらに、

ほぼ完形の土偶は、残存高さ7.3cmと小型ですが、“縄文のビーナス”と呼ぶにふさわしいほど、すぐれた縄文人の造形美をみせてくれます。昭和55年に県史跡として指定され、現在史跡公園として保存されています。

と記されています。

 

そうでした、そうでした。今朝平遺跡と言えば縄文のビーナス。これはしっかり覚えています。足助大橋を渡った宮町に、これを模した大きな石像が立っているのですよね。

 

あの石像のイメージがあって、縄文のビーナスは大きなもののような気がしていましたが、実際には7.3cmなのですね。現物を見てみようと、縄文のビーナスを探してみたのですが、今朝平遺跡の展示コーナーには見あたりません…足助で生まれ、中学までは足助で育った私にとって、足助の縄文遺跡と言えば今朝平遺跡。今朝平遺跡と言えば縄文のビーナスというのが常識です。このまま縄文のビーナスを見ずに帰るわけには行きません。

 

受付に行って、係の人に「このパンフレットの写真の縄文のビーナスはどこに展示してありますか?」と尋ねてみました。

「予想していたより小さくて7cmほどなので、みつからないという方もよくいらっしゃるのですよね」と言いながら、案内してくださいました。

 

そしたらなんと、中央の展示コーナーにあるではないですか。小さな土偶を近くで見ることができるように、中央のショーケースに展示されていたというわけです。「お腹が大きいので妊婦ではないかと言われています。珍しい土器です」と説明してくださいました。

 

地下に眠る今朝平遺跡

 

今朝平遺跡は、現在史跡公園として保存されているのだそうですが、よく考えてみたら、私は今朝平遺跡に行ってみたという記憶がありません。今朝平遺跡というのだから、場所は今朝平橋の近くなのでしょう。足助保健所の移転に伴って発掘されたということなので、あの辺だろうから探してみようかなと思ったのですが、実は私もいろいろと忙しく、迷子になっている余裕はありません。

 

文化財課の足助分室に確認したところ、

“今朝平を百年草に向かい、

目黒モータースの手前の橋を渡ります。

シルバー人材センターの方に行きます。

橋を渡って、二股の道を右に行くと、右側にあります。

入口に今朝平遺跡と石の標柱が立っていたと思います。”

 

との情報を得ました。

やっぱりあの辺りだなと思いつつ行って見ると、足助地域バス『あいま~る』の旧保健所バス停のところに『愛知県指定史跡 今朝平遺跡』と刻まれた石碑を発見!

植え込みに隠されつつある看板も立っていました。

足を踏み入れてみると…何もありません。手入れが行き届いた広場があるだけです。

看板には、今朝平遺跡の説明が書かれていますね。新しい土で埋め戻して永久保存がはかられているそうです。地下約1メートルに存在する縄文時代の遺跡に思いを馳せることにしましょう。

この看板でも、縄文のビーナスが紹介されていますね!やっぱり、今朝平遺跡と言えば縄文のビーナス!!「豊満な体が印象的」なのですか。あれ?妊婦だからというわけではなくて??

 

足助の玄関口に立つ『縄文のビーナス』の石像

 

最後に、宮町にある縄文のビーナスを模した石像に行って見ましょう。足助に向かって足助大橋を渡ると、正面に立っているのですよね!

石像の下には

あすけ愛

妊婦をかたどった縄文のビーナス。今朝平の土偶は、3500年前の人々が、よりよき生々発展を願って作ったものです。新足助町が誕生して30周年。今、私達は輝かしい次代の先人となるため、昭和のビーナスを作り、新しい町づくりを誓います。

昭和61年3月 足助町 足助町町民憲章推進協議会

 

と刻まれています。

足助に生まれて育った人の『あすけ愛(LOVE)』の凄さというのは、重伝建地区選定10周年事業実行委員会の話し合いでも挙がっていましたが、35年も前からこんなところに記されていたとは、びっくりでした!

 

それに、この石像は昭和のビーナスだったのですね!!

これからは縄文のビーナスの石像ではなく、昭和のビーナスと呼ばなければいけませんね。

 

足助の人は、この石像が今朝平遺跡から発掘された土偶『縄文のビーナス』を模したものだっていうことを知っていますが、知らずに来た人はこの石像を見てどう思うのかは聞いてみたい気がします。

そういえば、観光協会ブログで、縄文のビーナスの石像をきれいにしたという記事を見たことがあります。確認してみたところ、2020年8月9日の記事でした。

 

▼「縄文のビーナス」の石像周辺を伐採し、時計台も動き始めました(^^♪(足助観光協会)

http://asuke.info/blog/entry-2732.html

 

時計台の時計も止まっていたのですか。よく通るのに、全然気が付きませんでした。

 

せっかくなので、足助観光協会に寄って、その辺のいきさつを聞いてみることにしました。

 

足助観光協会事務局長の岡本さんによると、

 

“平勝寺のおくりさん(奥さま)と話をしていたときに「昔は足助大橋を渡ったら、縄文のビーナスの石像がバーンと見える景観だったのだけれど、全然変わっちゃったね」という話題が出ました。私も気にしていなかったのですが、確かに周辺が整備されていなくて、石像が隠れていて、隣にある時計台も止まってしまっていました。

何と言っても足助の玄関口ですから、これは観光協会でなんとかしなければと、石像を高圧洗浄機できれいにして、周辺の伐採を公園管理の方たちにやってもらいました。すぐに草木が伸びてしまわないよう、観光協会から資金を出して除草シートを張った上に土をかぶせてもらい、植栽しました。また、三州足助公社さんの協力で、後にある駐車場の板塀を新調してもらうことができました。時計台も青山電設さんに見てもらったら生き返ったというわけです。“

 

ということでした。

 

ふと出た話から、このままではいけないと思って、観光協会でなんとかしようと動いたら、みなさんが協力してくださって、きれいになったというわけなのですね!

さらに岡本さんは、

 

“縄文のビーナスは妊婦像で、母子の健康を祈ったといわれるので、子孫繁栄・安産の願掛けに良いということで、飯盛山の山頂まで登ったら、縁結びの神様『夫恋薬師(つまごいやくし)』や、乳がたくさん出るようになるという大イチョウ、足助資料館、足助八幡宮を経由して、縄文のビーナスを巡る『祈りの道』っていうコースを作りました。”

 

と、縄文のビーナスを含む『祈りの道』(片道60分)というウォーキングコースを作ったことを教えてくださいました。

 

このコースのことは、『飯盛山攻略図』という有料パンフレット(1枚50円)に掲載されています。パンフレットの売上金は全て香嵐渓の紅葉整備費用にするそうです。そういうことならと私も購入してきました!

 

▼有料パンフレット『飯盛山攻略図』(足助観光協会)

http://asuke.info/pamphlet/entry-2957.html

 

祈りの道を歩けば、今回紹介した足助資料館と縄文のビーナスを見て回ることができます。足助の縄文時代の歴史を学んだら、今朝平遺跡にも行って地下に眠る縄文遺跡に思いを馳せ、どうしてこの場所に縄文時代に人は住もうと思ったのだろうと考えてみるのはどうでしょう。

 

縄文のビーナスから今朝平遺跡までの距離は2km程になります。重伝建の足助の町並みを散策しながら行くことができますよ!

 

ということで、今回が足助重伝建地区10周年コラムの最終回になります。ありがとうございました。

 

高木伸泰

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足助町則定(現・豊田市則定町)に生まれる。進学、就職により足助を出て暮らしていたが、結婚を機にUターン。その後、両親が経営する(有)タカキ工業を引き継ぎ、組...

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