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裏山の木でマイホーム建てまーす!|第1話 山に木があるんだから伐ってこい

コラム

そこに木が生えているのに、その木で家を建てることは滅多にない。
そんな時代に、地元の木で自分の家を建てるって、どういうことか。
山の木でマイホームを建てるまでのストーリー。

こんにちは、初めまして、大山侑希と申します。

豊田市の中山間地域旭地区に移住して4年半。

単身で移住してから地元在住の方を紹介いただき、結婚。

「竹々木々(ちくもく)工房」の代表として、ボランティアに頼らない永続的な竹林整備の仕組みづくりのため、現在は国産メンマづくりを行っています。

この度、ひょんなことをきっかけに「地元の木材を使って家を建てる」なんて大それたことになりました。

家を建てると決めたのが2年前。実はまだ建っていません。
最近は「家はいつ建つの?」と言われると「私が一番知りたい!」と思っているので、聞かないでやってください。
理由は追々、お伝えしていこうと思います。

地元の製材所

 

このコラムでは多くの方々に協力してもらって家を建てることについて紹介していきます。
田舎に来て一番感じるのは「助けてもらって生きている」ということ。都会だとなんだかんだ、自分で生きている感があったのですが、田舎は不自由な故、助け合わないと生きていきません。
加えて、『地元の材を使って家を建てる』ことを通してこの旭地区と関わりのある方々を紹介していきます。

「間伐ボランティアさんによる材だし」「農地を宅地に」「地元の製材所で製材」「地元の大工さんに家を建ててもらう」
こんな内容を綴っていきます。

 

私らしく生きたいという葛藤

改めまして、大山侑希(36)です。侑希と書いて、ゆうきと呼びます。

幼少期から疑問やモヤモヤが多く、都会では息苦しく暮らしてきました(笑)
田舎暮らしがあるとも知らず、一生懸命、都会で生きていようともがいていたなと今になって思います。

家族は私をとても愛して育ててくれましたが、価値観が全く違いました。

良い大学に行って、良い会社の事務職で就職して、良い人と出会って早く結婚して専業主婦になってほしいと願う団塊の世代の親の期待。それにどうしてもワクワクしない私。その期待に応えられないことが心苦しくも、私らしく生きたいと葛藤してきました。


添乗員時代の私。

 

なんとなく働いて、働いたお金で土日に本当に好きなことをする。好きなことは仕事にならないという思いもありました。
何が積み重なっているんだろう、とモヤモヤが深まる日々。ただ「自分らしく生きたい」。そのために行動してきました。

 

ここに来る前、知り合いがやっている精神科の訪問看護ステーションの事務職を勧められ、勤めることになりました。事務職といいつつ働き方は、とても自由でした。そのステーションは、精神科の利用者さんが作業をするための畑を持っていました。そこで、とある農家さんと出会います。

その農家さんは、失礼を承知で書きますが、とても計画性のない農家さんでした(笑)
彼が農業をできるなら、私にもできるかもしれないなんて思ったのは本音です。彼とお米づくりなど、いわゆる昔ながらの暮らしを体験するなかで、お米と味噌があれば、つまり食べるものさえあれば、どこでも好きに暮らせるかもしれないと思うようになりました。

 

竹が導いてくれた田舎への移住

その農家さんは竹林整備もやっていて、ある日整備に誘われました。そこは長年整備された竹林でした。まっすぐにすっと伸びた竹が、何にも邪魔されずに優雅にたなびいている姿をみて、「かっこいいい♡私もこうやっていきたい」って思いました。

何を言っているんだって思うかもしれないけど、その当時、自分らしく生きている人やモノへの強い憧れがあったんだと思います。逆に、荒れている竹林をみて、それでも曲がりながら、あらゆるものに邪魔されながらも光を求めて高く上に伸びる姿を自分に重ね、「すっきりさせたい!」って思っていました。今でも竹林整備をすることで心をすっきりさせているのだと思います。


その時に撮った写真。今思えばとても混みあった竹林です。

旭地区に移住するきっかけも、その竹林整備での出会いでした。

「山に住みたい」という相談を代表の方にしたところ、「山なら豊田市旭地区に住んでいる戸田さんって方を知っているよ」と紹介してもらいました。戸田さんは豊田市旭地区を拠点に、さまざまな事業を手がけています。「移住もいいかもな~」と名古屋市で行われていた愛知県の移住フェアに行ったところで、おいでんさんそんセンターの木浦さんに出会いました。木浦さんも旭地区在住。「また旭だ!なんか縁があるのでは?」と思い、紆余曲折ありながらも仕事と住む場所が同時に見つかった旭地区へ移住することに決めました。

 

竹を仕事に

 

竹は資源だとずっと思って、仕事にできたらいいな~と思っていました。でも、それで暮らしていけるとは思っておらず、仕事にしようとは思っていませんでした。

そんな中、旭地区に移住した2018年の7月。旧築羽小学校を再活用した拠点施設つくラッセルで「メンマづくり」の看板を見つけます。「メンマって竹だ!いいな~私もやりたい♬」と2年目から活動に参加。

竹が好きだからといって始めた活動は、『竹々木々工房』を設立、あれよあれよという間に代表になって早3年。本当に好きっていうのは強みだな~と思うのですが、(逆に弱みかも)好きだからこそ続けています。

前にも説明したとおり、竹林整備をすると心がすっとします。竹林整備を続けていくために、秋に整備した竹林を元に戻さないような仕組みをつくるべく、今は春に国産メンマづくりに取り組んでいます。

 

古民家への憧れと現実

そして有難いことに都会ではほぼご縁がなかった結婚を、2020年旭地区に在住の方とすることができました。

結婚を機に空き家を探し始めました。移住した当初までは、古民家に強い憧れがありました。電気やガスに頼らない暮らし。春には山菜を収穫し、お米をつくり、パソコン作業なんて全くせず、自然の四季に合わせて暮らす。「あ~なんて豊かなんだろう」と思っていました。

しかし、田舎は私の想像をはるかに越えて忙しい。

まずはお役。定期的に土日に道の整備や地域のお手伝い、お祭りでの集まり事がある。そして人手不足。ここ旭地区は移住者を受け入れ始めてから10年以上経っており、同じ年齢層の移住者が多くいます。多くいますが、人手は全く足りていません。地域の方の頼まれごと、道路整備などの草刈りのお役、田んぼや畑の管理、イノシシやシカが捕まったら捌かないといけなかったり、みんなが支えあって暮らしています。

草刈り、側溝掃除のお役。雨の日でもやります。

 

そしてびっくりするような冬の寒さ。

私が来てからは暖冬が続いていたのですが、暖冬でも寒い。私が移住後に住んでいた古民家は、家の中なのにダウンジャケットを着ながら料理したり、台所の水道が凍ったり・・・・暖かくないとすべてのやる気が奪われます。初年度の冬を経験してからは、古民家に住みたいなんて気持ちはどこへやら、「気密性のある家に住みたい!」と思うように。じゃないと時間がもったいないのです。

台所の洗い物。洗おうと思ったら、凍っている。

 

家を建てるのは、役に立ちたいから!

そんなこんなでも家を建てようなんて思っていませんでした。
家を建てるに至った詳しい経緯は諸事情でここに書くことはできないのですが(直接お聞きください)、きっかけは、彼の実家があり、活動の拠点であるつくラッセルがある築羽自治区の役に立ちたいと思ったことでした。

旭には5つの自治区があるのですが、築羽自治区は隣の敷島自治区に比べ、過疎対策が遅れ、維持していくのに困難な地域になっています。築羽自治区に暮らすために、彼の実家の農地を宅地にして家を建てることになりました。

 

そこで初めて、農地を宅地にするのに1年ぐらい時間がかかることを知りました。現在では、農地を宅地にすることに対して反対されることはほとんどなくなったと聞きますが、手続きの時間は相変わらずかかります。

せっかく家を建てることになったのだから、地元の大工さんにお願いしようと思い、築羽自治区に在住の大工さんに建築をお願いしました。快く了承していただいたのですが、コロナの影響で材が高くなりすぎているし、そもそも材が手に入らないと言われました。その後に言われた一言で、豊田市産の材で家を建てることになります。

大工さん「山に木があるんだから伐ってこい」

私「え~~~そりゃあるけど…」

それから色々な方を巻き込んで豊田市産の材で家を建てる物語がはじまるのでした。

続きはこちらから↓

https://engawa-toyota.com/wp/localwoodhouse_2/”]

大山 侑希

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1986年生まれ、一宮市出身。幼少期から社会の仕組みに疑問を抱く。大学卒業後、大阪の会社、添乗員、事務職など都会で生きていくために奮闘。田舎で暮らしている同...

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