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*募集終了【求人】エネルギーと暮らし、他人まかせにしない未来をみんなでつくる/(株)三河の山里コミュニティーパワー

縁側求人

*縁側求人での募集は終了しました。たくさんのご応募ありがとうございました*
興味がある方は、(株)三河の山里コミュニティパワーに直接お問い合わせください。

今年も本当に暑い夏でした。外に出た途端に、熱気で息がしづらいような酷暑。ここ数年で明らかに暑さの厳しさが増した。そんな感じがしているのはきっと私だけではないはずです。”地球温暖化”の5文字が頭をよぎります。

夏、といえば私の住む豊田市山村地域で毎日のように聞こえてくるのが「ブイーン!」という草刈り機の音。豊田市の人口はおよそ42万人、そのうち山村地域に住んでいるのが2万人ほど。一方で山村地域は市域の6割以上を占めています。つまり、一人が管理しなければいけない土地がとても広い。そのため、鎌を手に草を刈るのではとうてい間に合わず、毎日のように草刈り機の音があちらこちらで響いています。

 

人口減少が進み、山村地域の高齢化率(65歳以上の割合)は4割を超えました。草刈りだけでなく、農業、学校などさまざまな分野で担い手が減っていくことが懸念されています。

地球温暖化に人口減少。「どうなってしまうんだろう」と感じながら、なすすべもなく眺めていることしかできないのでしょうか。今回、縁側求人でご紹介するのは、この時代を「とにかくみんなで生きのびる仕組み」として生まれた(株)三河の山里コミュニティパワー(以下、MYパワー)です。

MYパワーは、電気の小売会社です。現状、自社での発電は後述の太陽光発電付きカーポートだけですが、将来的には太陽光や小水力などの再生可能エネルギーによる発電を予定しています。電気の小売で得た利益は、地域の課題解決のために使っています。株式会社ですが、無配当、非営利。互助会や、共同組合といった「みんなの会社」を目指しています。

人口が減り、経済が縮小していけば国も自治体も税収が減っていきます。市の職員は減り、地域課題の解決にかけられるお金も縮小していく。それならば行政に頼ることなく住民自ら課題に向き合っていくしかない。山村地域の住民が電力をMYパワーに切り替えることで出た利益を、その課題解決にかかる費用に充てる。こんな未来を思い描いています。

 

MYパワーの事業は、豊田市、中部電力(株)、(一社)三河の山里課題解決ファームの「豊田市山村地域等における課題解決に向けた地域サービス」の実証事業として位置づけられ、2019年10月から2022年9月までの3年のあいだに、道筋を示すことが求められています。(詳しいことは、後半に書いてあります)

 

実証期間の半分が過ぎた今、さらに事業を推進していくための仲間を募集しています。温室効果ガスを排出しない発電で環境問題にアプローチできる。そのことが山村地域の課題解決にもつながる。自ら前のめりに働きかけることができる人なら、きっと「地球のため、地域のために自分にできることがある」という実感が得られる仕事です。ピンときた方はぜひ、読み進めてみてください。

 

 

地域医療から見えてきた自治の課題

 
MYパワーができた背景には、取締役である早川富博さんと萩原喜之さんそれぞれが人生をかけて取り組んできた活動、見えてきた課題がありました。まずはそこからご紹介していきましょう。

早川さんは1996年に足助病院に赴任して、長年院長として地域医療に尽力してきました。

 

早川さん 当たり前ですけど病院って、地域の人がいなければ存続できないんですよ。こちらに赴任して来たら、人口がどんどん減って地域が疲弊していくのが目に見えてきた。これは何とかしなければと思ってずっとやってきました。

 

赴任してすぐ始めた訪問治療では、患者が地域に点在していて病院や福祉などのサービスをするのに効率が悪いことがわかりました。効率を高めるため、1999年には愛知県の補助金を使って在宅医療の機器を業者と共同開発。また2005年からは病院と福祉事業者との連携を高めるために電子カルテのシステムを導入しました。過疎が進む地域でも医療の質を維持するため、次々に新たな取組をしてきました。

同時に、地域の課題を理解することにも努めてきました。

 

早川さん 2010年からは「三河中山間地域で安心して暮らし続けるための健康ネットワーク研究会」という勉強会を定期的に開催し始めました。住民の皆さんから「地域の人が何に本当に困っているかわかってないんじゃないか」という意見が出て約1万人を対象にアンケート調査を行いました。

 

その結果、困りごととして出てきたことの1つに「バス停が遠い」、「バス停まで行けない」という交通の課題がありました。

 

早川さん アンケート調査は、その結果に対する新規事業をすることとセットになっていて、補助金をもらっていました。そこでタクシーを雇って患者さんが病院まで乗れるように輸送サービスを始めました。8時から14時まで3台のタクシーがずっと待機していて、利用者は1台あたり二人くらい。大赤字で継続できないわけです。その代案として、近所の住民どうしでグループを作り、一定の人数が集まったらタクシーを呼ぶ仕組みはどうだろうと提案して、地域ごとに10組ほどができました。このやり方だったら、補助金など外の支援がなくてもやれるというメリットがあったのですが、10年経って残っているのは1組だけ。交通の課題はあるけれど、自分たちの問題だという意識がなかなか育たなかったということですね。

 

エネルギー問題に向き合うしかない

 

萩原さんは、使い捨て社会や環境破壊への危機感から1980年、27歳の時に中部リサイクル運動市民の会を立ち上げました。

萩原さん 当時はリサイクルという言葉が辞書にも載っていませんでした。「できることから始めよう」と有志を集めてできたのが中部リサイクル運動市民の会。誰もやっていないことだったから注目されたけど、「自分の面倒も見られない人間が人様のことやるな」など周りからは反対されていました。でも自分がやりたかったらやる!と決めてスタートしました。

 

例えば、当時増え始めていた大手スーパーマーケットで、アニメのキャラクターショーの代わりにフリーマーケットを提案したり、不用品交換ボードを設置したりすることで、“職業として食える市民活動をやる”という目標どおり、立ち上げから5年後には給料を払えるようになったそう。

 

萩原さん 僕は持続可能な社会っていうのは、現在の地球上で暮らす世代と、未来の世代が等しく恩恵を受けられる社会だと思っています。エネルギーのことで言えば、資源を使いすぎることで枯渇に近づいていくし、汚染も止まっていない。なんとかしたいと思っていたけど、原発のことは政治的なことだからやっても無理。関わらないと決めていたのね。でも58歳の時、福島で原発事故があって気持ちが変わりました。

 僕の実家は浜岡原発から13キロくらいのところにある。福島と同じようなことが起きる可能性は高いと思っていて。そうするとふるさとを失うかもしれない。余生はたこやき屋さんをやるとか、好きなことをしようと思っていたけど(笑)エネルギー問題やるしかないなと。

 

「たすけあいプロジェクト」の危機から電力会社立ち上げへ

 

転機となったふたりの出会いは2009年。地域に入り込んで病院運営をしている早川さんに萩原さんが関心を持ち、親交が始まります。

萩原さん 早川さんと僕は、分野は違うけど同じ課題に向き合っていることがわかりました。リサイクルや病気予防など、自分自身の課題としてちゃんと向き合うように、人の価値観や行動を変えることに取り組んでいる。だからサポートしたいと申し入れをしてお付き合いが始まりました。

早川さん 医療に関連して地域で実証実験したい場合は、そういう土壌があるよという話を萩原さんにしていたら、名古屋大学とつないでくださった。それで2016年から始まったのが「たすけあいプロジェクト」。足助病院内に事務所を設置して、マイカー相乗りシステム「たすけあいカー」や人感センサーを自宅に設置した健康見守りなど、高齢者が元気になるモビリティ社会の構築をビジョンにしたプロジェクトです。

2018年には「たすけあいプロジェクト」の受け皿組織として足助病院が自立してやっていくことが求められていたけれど、経営的に厳しい状況でした。萩原さんは紹介した責任を感じ、どうにか継続できるようにしたいと頭をひねっていました。

2016年、電気小売事業への参入が全面自由化。誰でも自由に電力会社を立ち上げることが可能になっていました。そこで萩原さんは、電力会社を立ち上げてその利益を「たすけあいプロジェクト」の原資に充てることができないかと考えました。

 

萩原さん エネルギー問題に向き合うために、原発ではない電気を選ぶことができる状態を作りたかった。もし電力会社を作って地域の人が買ってくれれば、外に払っている電気代の分、売り上げが立ちます。山村地域にある豊田市の施設だけでも年間3億円ある。その何パーセントでも利益として入れば、たすけあいプロジェクトに充てられると試算しました。役所に税金を納めるように、MYパワーから電気を買ってもらおうと。税金の使い道を決めるのは役所だけど、MYパワーの利益は、買ってくれるみなさんが課題解決のために使い道を決める。うまくいくかわからないけどそんなふうに考えました。

 早川さん 地域課題解決を継続的に行なっていくには、補助金頼みから脱却すること、地域住民のみなさんが「自分たちの課題」だと向き合って取り組んでいくことが必要だと実感してきたので、萩原さんのアイデアを聞いて“救世主だ”と思いましたね(笑)

 

電力会社の立ち上げに向けて(一社)三河の山里課題解決ファームを設立。萩原さんに声をかけられた11名が月に2回、名古屋市内で勉強会を重ねました。2017年5月に豊田市長に地域新電力事業を提案。その後、豊田市の仲介により2018年1月から当時の中部電力株式会社との意見交換会が始まりました。

 

協議を重ねた結果、「たすけあいプロジェクトの継続・発展」、「山村地域の課題解決のための新たなサービスの開発」、「山村地域での電力小売事業」、「再生可能エネルギーの普及促進」を実証するために3者協定が結ばれることになり、その実行者として2019年6月(株)三河の山里コミュニティパワーが誕生しました。

地域の未来を見据えて豊田市と協定を結ぶのはわかるとしても、なぜ同業者になる中部電力(株)とも協定を結ぶことになったのでしょうか。

萩原さん 中部電力(株)はこれからもっと地域に入って、培ってきた技術を使ったサービスを展開していきたいということでした。早川さんは20数年かけて地域の疲弊を止めようとしてきたから、地域に深く入り込めている。それが認められて、共働したいという話になりました。

 

 

公共施設723件の契約切替が完了

 

設立から2年。「たすけあいプロジェクト」を継続しながら、「再生可能エネルギーによる電気の地産地消」、「地域住民による地域の課題解決」の実現に向けてまっしぐらな日々を送ってきました。

 最初に着手したのは、山村地域にある公共施設の電気の切替。10か月かけて、723件を中部電力からMYパワーへの契約に変更。この電力小売事業の利益が、MYパワーの資金になります。その後、地元の事業所や一般家庭の切替に向けて調整し始めています。

まずは契約をMYパワーと結んでもらい、供給する電気を徐々に再生可能エネルギーで発電されたものにしていく計画です。電源開発のはじめの一歩として、足助病院の駐車場に太陽光発電付きカーポートを設置しました。

早川さん 電気自動車が充電できるので足助病院の訪問介護などに使っていただけます。災害時の非常用電源としても利用できるので、ここをショールームのように見てもらって、地域の方が設置されるようにお勧めしていきたいと思っています。

 

顔の見える人たちで決める自治の形

 

地域と一緒に、課題に向き合うことも始めています。代表的な事例を紹介します。

17世帯が住む足助地区の大多賀自治区では、過疎化により11ヘクタールの農地が耕作放棄地になっていました。障がいを持つ子どもたちが自然のなかで活動できる場を探していた一般社団法人日本福祉協議機構をMYパワーが紹介し、意見交換の場を持ったところ地元の方から「うちの農地を使ってみたら」という声をもらうことができました。2021年6月20日には、自治区のみなさん、(一社)日本福祉協議機構とその利用者、MYパワー3者での田植えが実現しました。

萩原さん 田植えの前に、日本福祉協議機構に大多賀で草刈りをしてもらいました。草刈りするまでは、大多賀の人に「怪しい」と思われていたみたいで、「早川先生、だまされているんじゃないですか」という声が病院で聞かれたそうです(笑)でも草刈り、そして今回の田植えと関わる機会が増えていって、やっと信頼をしてもらえたという状況になりました。

 

10年間で40世帯の移住者を受け入れている旭地区敷島自治区では「支え合い社会創造プロジェクト」の伴走をしています。高齢世帯がますます増加する将来に備え、地域住民のなかで「困りごと」と「やれること」を見える化しマッチングする共助のシステムを事業化しようというのがこのプロジェクト。MYパワーもお手伝いして全ての住民に、手伝ってほしいこと、お手伝いできることを記入するアンケートを行いました。その結果について話し合うワークショップが住民主体で開催されました。

早川さん できる人は有償ボランティアとして、困っている人を助ける。そこをつなぐ事務局を最初はMYパワーが担うんですが、後々は地域の人が電気を切り替えることで出る利益を元に、地域の人でやれるといいなと思っています。

 

仕事も働き方も初めてだから面白い

 

MYパワーの日々の仕事は、山村地域に暮らし、地域課題を自分ごととして感じながら働いている人たちが担っています。

庄司知教さんは2011年に名古屋市から足助地区に移住。萩原さんが立ち上げた中部リサイクル運動市民の会で長く働いた経験があり、16年間も一緒に仕事をしてきたそう。

庄司さん 移住してからは、薪ストーブの販売取付会社を自分でやっていました。MYパワーができる前の(一社)三河の山里課題解決ファームの事務局として声がかかって話し合いに参加していた時、豊田市役所の人から「頭はあるけど手足が見えない」と言われていることを知りました。理念はすごいけど、実行に移せるのかと。それを聞いて「自分がやるしかいないんじゃないか」と思って。

一緒に仕事をしてきて、萩原は0から1を作る、社会にとって貴重な存在だと思ってきました。でも1を作った後は、誰かに任せる。萩原と16年間働いてきてどこにも無い取組を具体的に動かしていく部分を担当させてもらってきました。足助の住民としても、地域の課題解決に当事者として向き合っていく必要がある。自分がやる運命だと感じました。でも覚悟がいりました。地域の人は「移住者の庄司がMYパワーに関わる」と思う。中途半端には関われないぞと。

 

庄司さんは、公共施設の電力切り替えのメイン担当として奮闘。現在は、すべての事業に関わりながら“中間管理職”のような仕事の仕方をしています。

庄司さん たすけあいプロジェクト、電力切替、広報関係など、現場で手を動かしてやってきました。今はその経験を生かし、現場からの報告を聞いて経営陣に相談し、次の動きを決めていくようなことをしています。現場のスタッフが自ら判断して意思決定したり、直接相談できたりする状況が理想なので、今後は中間管理職が不要になっていけばいいなと思っています。全てが未経験の仕事で手探り状態。わからないことがあれば都度調べてやってきました。次から次へと色んな新しい案件が飛んできます。それらを的確に処理していく働き方も初めてです。毎日がチャレンジの連続!楽しんでいます。

 

利用者とのつながりが自分の居場所に

 

松平地区で育ち、結婚後も暮らしているのは浦野芙美さん。足助病院で働く親戚から「たすけあいプロジェクト」の求人があると聞いたことがきっかけで2016年から事務局に入り、MYパワーができてからも継続して働いています。

 

浦野さん お一人住まいの高齢者の方にタブレットの使い方を説明したり、見守りのための人感センサーを設置したりしてきました。最近担当しているのは、中部電力と共働で始めた、電池の使用状況で高齢者の方の見守りができる新事業です。他にも電気事業の顧客管理や、総務、経理など、MYパワーで働くようになってから仕事が増えましたね(笑)

たすけあいプロジェクトの利用者は延べ100名を超えています。5年関わってきたので、高齢者の方、ご家族、ボランティアの方など知り合いが増えたことで、自分の居場所ができたような気がしています。MYパワーの事務所が足助病院にあるので、訪ねてきてくれたり、声をかけてくれたり。やっていて良かったなぁと感じます。

 

立場を越えて、同じ未来のために共働できる

 

通常、週に5日間事務所に来ているのは庄司さんと浦野さん。もう一人お話を聞いたのは2020年に名古屋市から足助地区に移住してきた関原康成さんです。

関原さんは、事業本部長として経営会議を進行する他、これまで培ってきたコンサルティング、エンジニア、営業、総務での経験を生かして、すべての事業に関わっています。

 

関原さん 週1回の経営会議には中部電力と、豊田市役所未来都市推進課の担当者の方も出席してくれています。MYパワーが立ち上がる前の意見交換会の段階では、我々の構想を伝えても「そんなこと本当にできるの?」と疑いの目で見られていました。経営会議で議論を重ねる中で、お互いの理解が深まったのでしょう、今では各自の強みを生かして同じ未来を目指す対等な仲間になれていると思います。

 最近では大手企業からも、「うちが持っている技術を生かして何か一緒にやれませんか」と興味を持っていただくことが多いです。ビジネスの世界は“長いものに巻かれる”のが常識だと思っていました。MYパワーのような小さな会社が、大手と一緒にやれる。大きな時代の変化の渦中で主体的に電力事業や地域の課題解決に携われていることの面白さがあります。

 

能力よりも、地域への強い想いがある人を

 

今回、新しい仲間を募集するにあたって、関原さん、庄司さん、浦野さんのような方をイメージしているそうです。

 

萩原さん 経済が縮小して、役所のサービスが期待できなくなる。地球温暖化が進んだり、資源が枯渇して今までと同じ電気の選び方や使い方ではまずい。地球も社会もぎりぎりのところまで来ていると思っています。MYパワーがやろうとしているのは、何かやってあげるのではなくて自分たちのことを自分たちの責任で決めていく地域内の“⾃治”を強化していく支援です。でもこれって結構大変なこと。今まではお金でなんとかなってきたことだから。

長丁場になる。じっくり地域と向き合わないといけない。僕や早川さんは、もうあと長くて10年ですよ。だから関原さん、庄司さん、浦野さんに続くいわば幹部候補生のような方に来てほしい。できれば豊田市の山村地域に住んでいる方、これからこちらに住んでくれる方で、能力よりも想いのある人。必要になれば、人ってできるようになるから。

 取材中、「MYパワーは、働く人がやりたいことを投げ込めばそれが実現できる大きな鍋だ」という例えが出ていました。やりたいことを実現するためのメンバーは揃っている。でもやりたいことを実現させるためには、やりたくないこともやらないといけない。毎日が忙しく、庄司さんや浦野さんはお昼の休憩が取れないことも時にあると聞きました。

そのなかでも笑顔で働くことができるのは、きっと地域課題解決という自分の未来に直結した仕事をしているからだと思います。地域の未来と自分の未来を重ね、そこに役割を見つける。未来は変えられる、そう信じているあなた、MYパワーの仲間になってみませんか。

 


株式会社 三河の山里コミュニティパワー 募集要項

 


雇用形態 
正社員

給与 
応相談(経験年数やスキルに応じて決定)

待遇 
試用期間6ヶ月

福利厚生
厚生年金・健康保険・雇用保険・労災保険

昇給あり
交通費は応相談

仕事内容
・地域課題のマッチング事業の立ち上げ、補助
・地域の課題解決を住民主体で進めるための合意形成・調整
・再生エネルギーの普及促進(PVカーポート、小水力事業)、マーケティング、営業
・集落単位で電気の切替を行なっていくための戦略立案、実施

対象
・MYパワーが行っている地域の課題解決事業に興味がある人
・地域新電力やエネルギー事業に興味がある人
・地域活性化に資する新たな事業立案、実行に興味があり、その担い手になりたいと考えている人

勤務地
事務所(足助病院内)、現地(豊田市中山間地域)、リモート勤務

勤務時間
午前9時〜午後6時(お昼休憩1時間、適時休憩)
※時間帯や働き方については応相談

休日休暇
日曜・祝日

*夏季休暇、年末年始休、有給休暇あり

応募資格
要普通自動車運転免許

 


雇用形態 
1)業務委託
2)プロボノ
3)インターンシップ

仕事内容(以下のどちらかを選択ください)
A
・地域住民が集まる場における各種アシスタント業務(進行補助、議事録づくり、事務局補助、資料作成)
・MYパワーが主催する各種研究会やイベントの運営補助業務
B
・定期的な広報(ウェブサイト、SNSの更新)
・ウェブサイトのページ増設

給与 
1)A 月額1万円程度(業務内容により応相談)B 月額2万円程度(業務内容により応相談)
2)報酬支払いは無し(プロジェクトに係る経費(交通費等)は有り)
3)報酬支払いは無し(プロジェクトに係る経費(交通費等)は有り)

 

対象
A

・MYパワーが行っている地域の課題解決事業に興味がある人
・会議、研究会の事務局運営の経験がある人
B
・積極的にウェブサイトやSNSで情報発信できる人
・MYパワーのことを積極的に周知したいという思いがあり尽力できる人
・広報業務に携わった経験がある、または関心がある人

勤務地
現地(豊田市中山間地域)、リモート勤務

活動予定期間
1)2021年11月〜2022年9月末
2)2021年11月〜2022年9月末
3)2021年11月〜2022年3月末

活動頻度
1)各種研究会・イベントへの参加、週1回ミーティング(2時間程度)、作業4〜5時間/月程度
2)各種研究会・イベントへの参加、週1回ミーティング(2時間程度)、作業4〜5時間/月程度
3)各種研究会・イベントへの参加(任意)、週1回ミーティング参加(任意)、作業4〜5時間程度

募集期間
2021年11月19日〜2021年12月27日

採用予定人数
正社員:1名
業務委託、プロボノ、インターンシップ:各1〜2名

選考方法
正社員:応募→書類選考→面接→採用 ※試用期間6ヶ月あり
業務委託、プロボノ、インターンシップ:応募→面接(書類持参)→採用

次の選考ステップに進まれる方のみご連絡させていただきます
取得した個人情報は採用選考にのみ使用します
選考プロセスは変更になる可能性があります
不採用理由についての問い合わせにはお答えできませんのでご了承ください

募集説明会
オンラインによる説明会を実施します。
日時:2021年12月16日 12:00~13:00
説明会の申込等についての詳細はこちらをご覧ください。

 

問い合わせ・応募する

 

きうらゆか

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1979年生まれ。2014年、夫のUターンに伴って豊田市山村地域・旭地区に移り住む。女性の山里暮らしを紹介した冊子「里co」ライター、おいでん・さんそんセン...

プロフィール

撮影 永田 ゆか

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静岡県静岡市生まれ。 1997年から長久手市にあるフォトスタジオで11年間務める。 2008年フリーランスとして豊田市へ住まいを移す。 “貴方のおかげで私が...

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