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おじいちゃん、おばあちゃん、わたしもガラ紡やります!

コラム

ガラ紡でつむぐ里山の価値|おじいちゃん、おばあちゃん、わたしもガラ紡やります!第6回

コラムは今回が最後。松平での私の活動とともに、ガラ紡で紡ぎたい価値を紹介して、締めくくります。私がお借りしている畑のご夫妻は、すでに80代後半。お二人とも杖や手押し車が欠かせません。土とともに生きていて、畑の季節には毎日のように作業をされていました。

コラム

何があっても生きていけるように|おじいちゃん、おばあちゃん、わたしもガラ紡やります!第5回

水車が動力だったガラ紡糸には、里山のぬくもりがぎゅっとつまっています。その里山、松平になぜ名古屋から移り住んだのか。きっかけは、東日本大震災です。岩手県宮古市で震災支援した際に、赤ちゃんが救われた話をきき、私の人生観が揺さぶられました。Sさんが女の子を出産したのは、2011年3月11日午後2時19分。宮古市沿岸にある病院です。その27分後、大きな揺れが襲いました。

コラム

手と心を動かす綿と糸の授業|おじいちゃん、おばあちゃん、私もガラ紡やります!第4回

娘が九久平小学校3年生のときでした。「野々山さん、綿の授業をしてみませんか?」。担任の先生から声をかけられました。総合学習という単元で、3年生は昔の道具にふれるとのこと。松平で盛んだったガラ紡に、先生が関心を寄せられたのです。もちろん二つ返事で引き受けました。以来、6年間にわたり3年生の総合学習を担当しています。今年度の九久平小学校3年生は40人。今回のコラムでは、小学校での綿の授業を紹介します。

コラム

ガラ紡がくれたご縁|おじいちゃん、おばあちゃん、わたしもガラ紡やります!第3回

まったくゼロの状態で、私にガラ紡の何ができるのだろうか。とても見当がつきませんでした。気持ちばかりが先走るなか、移住準備と並行して、ガラ紡の施設や資料館をまわり、関係する方々に会いました。その出逢いが、次の出逢いにつながりました。今回のコラムは、ガラ紡がつないでくれたご縁について紹介します。

コラム

目からウロコ、綿の世界|おじいちゃん、おばあちゃん、わたしもガラ紡やります!第2回

みなさん、綿に毎日触れていますか? 「毎日?」と疑問に思われた方、身にまとっている服のタグをみてください。たいてい綿が使われています。もうひとつ質問です。綿が畑で育っている風景を見たことはありますか? 毎日口にするお米は田んぼでつくられています。野菜は畑で作られています。田んぼや野菜畑は、日頃目にします。ところが、毎日触れているはずの綿は、畑ではめったにありません作られていません。

コラム

ガラ紡との再会|おじいちゃん、おばあちゃん、わたしもガラ紡やります!第1回

「ガラ紡」。この言葉をきいて懐かしく思い出される方は、豊田市松平地区に何らかのゆかりがあることでしょう。多くの方は「ガラ紡って?」と疑問に思われるかもしれません。ガラ紡とは、綿を糸に紡ぐ紡績機械です。私のルーツをたどると、1897年(明治30年)から3代続いて、100年を超えて紡いでいました。主に、ふきんや足袋、軍手などに使われたと聞いています。