「ふるさとをなくさない」「障がい者活躍」簡単じゃない夢を過疎集落で叶える!”互いの森プロジェクト”
豊田市足助地区、寧比曽岳の北側のふもとに大多賀という集落があります。
そこは人里離れた山奥。平安末期、源平合戦で敗れた平家のお姫様が逃げこんだという言い伝えが残っている。
かつては林業が盛んに行われ、炭を焼く人もいた。にぎやかな暮らしがあった。しかし、高度経済成長期の人口流出、少子化など時代の波にのまれ、過疎化を止めることはできませんでした。
現在、1242ヘクタールもの広大な地域に住んでいるのは35人17世帯。そのうちの8世帯が高齢の独り住まい。この春、集落で唯一の高校3年生が進学のために上京し、10代はゼロになりました。
住民の脳裏に、「集落が消滅するのも時間の問題かもしれない」というあきらめが浮かび始めていた2021年、ひとつの出会いがありました。
「自然豊かな土地で、障がい者福祉のための場づくりがしたい」という(一社)日本福祉協議機構(以下、日本福祉)の想いを聞いた(株)三河の山里コミュニティパワー(以下、MYパワー)が、彼らを大多賀に連れてきたのです。
この3年間、日本福祉、MYパワーの関係者が大多賀へ通い、草刈り、田んぼでの稲作、原木椎茸栽培などが『互いの森プロジェクト』として進められています。
しばらく使われていなかった田んぼに子どもたちの声が響き、人々の笑顔が戻ってきました。
しかし、このプロジェクトの道のりは平坦ではありません。
これまで大きな変化の少なかった大多賀は、よそ者を受け入れる不安と、消滅寸前のふるさとを誰かと一緒に未来につないでいきたい気持ちのあいだで揺れています。
日本福祉は障がい者と社会をつなぎ、共生社会を実現するため、組織と事業を急拡大させています。その流れのなかで、大多賀の取り組みにつきっきりになれず、計画遅れが出ている状況。
そこで、MYパワーが大多賀と日本福祉の間に立って両者の悩みを聞き、課題が出てくるたびに話し合い、「ふるさとをなくさない」「障がい者の活躍」を実現するために、少しずつ前進しています。
この計画遅れの状況を打開し、今年度、大多賀に事業所や拠点をオープンするため、日本福祉とMYパワーは一緒に働く仲間を募集することになりました。この記事では、大多賀での互いの森プロジェクトの歩みを、別の記事で2社の求人についてご紹介します。
ふるさとが消滅するかもしれない
“よそ者”に対してオープンになりきれていない。大多賀の自治会長、現在58歳の池野利三(いけのとしみ)さんは、自分より上の世代が率いてきた時代を、そのように感じてきました。
昭和62年に廃校になった地元小学校の校舎を、碧南市に本社を置く醤油の醸造会社が仕込み蔵として利用するようになったのが35年ほど前から。
親睦を深めるため、醸造会社は大多賀の住民を招いて、年1回イベントを開催するようになりました。当時の自治区執行部は最初の1〜2年は顔を出していたけれど、出席しなくなりました。同年代の男性たちも、同様に欠席していました。
池野さんが自治会長になり、4年前からは住民も準備や片付けを一緒に行うようになると、醸造会社と少しずつコミュニケーションが取れるようになり、現在も良い関係が続いています。
大多賀の雰囲気は少しずつ変わってきました。それでも、人口減少と高齢化は止まらない。この6年で住民の数は12人減って35人。17世帯のうち8世帯が独居です。
池野さん「ある家で火災が発生して、一人暮らしのおばさんが亡くなってしまいました。同級生の母親でした。集落の奥の方に住んでいるおじさんは体調を崩していて、様子を見に行ったら、転んだと言って顔に絆創膏を貼ってでてきました。高齢の人たちを見守りたいし、気にしてあげないといけない。生まれ育った大多賀を未来へつなげていきたい。でも、もう時間切れかもしれない」
焦る気持ちが募ってきたタイミングで、日本福祉とMYパワーの訪問を受けました。
草刈りで認めてもらえた
日本福祉は、名古屋市、豊田市、東郷町などで、就労継続支援B型事業所、児童発達支援、放課後等デイサービス、生活介護事業所、高齢者支援施設など幅広い事業展開をしています。
障がいの有無に関わらず、いろんな生き方を選べることを重要視している日本福祉は、例えば、グラノーラ専門店、ジビエレストラン、世界の植物と昆虫の販売店などを作り、障がい者が最低賃金以上を工賃として得ながら、自分らしく働ける場を増やしてきました。
それにも関わらず、事業所が都会だけに集中していることを、代表の濱野剣(はまのつるぎ)さんは長年課題に感じてきました。
濱野さん「都会のせかせかした雰囲気に息苦しさを感じている利用者((=日本福祉の事業所を利用する障がい者)もいらっしゃいます。ストレスがかかりすぎて、薬に頼らざるを得ないこともある。自然豊かな田舎で過ごしたり、働いたりできる環境を選んでもらえるようにしたい。そのための場所を探していました」
相談を持ちかけたのが、友人でありMYパワー専務取締役の萩原喜之(はぎわらよしゆき)さんでした。
MYパワーは、足助病院の中に拠点を置く会社。電力の小売事業で得た利益を活用し、豊田市山村地域の住民が自ら地域の課題解決に取り組むことの伴走支援をしています。
萩原さん「これから日本全体で人口が減り、経済が縮小して税収が減っていきます。地域課題の解決にかけられるお金も縮小していく。それならば行政に頼ることなく住民自ら課題に向き合っていくしかない。山村地域の公共施設や住民が電気の契約をMYパワーに切り替えることで出た利益を、地域の課題解決にかかる費用に充てる。そんな取り組みをしています」
萩原さん「MYパワーの代表、早川富博さんは長年足助病院の院長をしてきた人なので、山村地域の事情に通じています。濱野さんの相談を受けて、紹介できそうな地域があるか聞いてみたところ、高齢化と人口減少で担い手不足が深刻な大多賀の名前が出てきました」
2020年9月。初めて大多賀を訪問すると出迎えてくれたのは50代の役員5人でした。
萩原さん「排他的な地域だという噂を聞いていたので、80代の怖そうな重鎮が出てくるかと思ったら、若い方たちで驚きました。自治会長の池野さんが『大変な状況です』と話すのを聞いて、受け入れてもらえる可能性があるかもしれないと感じました」
大多賀では、過疎化により11ヘクタールの農地が耕作放棄地になっていました。MYパワー、日本福祉、大多賀の役員、三者で意見交換したところ、役員の一人から「うちの田んぼを使ってみたらどうか」と提案がありました。
萩原さん とはいえ、役員以外の人たちには「どうやら足助病院の院長の知人らしいが得体が知れない人が来た」、「障がいを持つ人たちを連れてきたらしいけれど大丈夫なのか」という不安があるだろうと思いました。信頼してもらうためには、実際に行動を見てもらうしかない。「草刈をやらせてもらえませんか?」と聞いてみましたが、「冬だからやる場所はありません」と断られました。
それでも、何もしないわけにはいかないと考えた萩原さん。同じく若い人がいない大多賀の隣の集落に声をかけてみると、草刈りさせてもらえることに。大多賀の住民は、草ぼうぼうの耕作放棄地が、すっかりきれいになった様子に驚き、「大多賀でもやってもらおう」という流れになったそうです。
池野さん「人の背丈よりも高いススキが生え放題の場所でしたが、2時間で結構な面積をやってくれました。若い力はすごいと実感しました」
田んぼや山に活気が戻り始めた
その後、日本福祉は田んぼを借りて、2021年から米づくりをスタートしました。事業所のスタッフ、利用者、子どもから大人までたくさんの方たちが参加を希望し、毎年120名を超える人数で田植えと稲刈りを実施しています。
2023年には4反の田んぼで750キロの無農薬米を収穫。「米づくり体験、楽しい!」と反響がありました。
池野さんは、「20代、30代の活力のある人たちが一気に動くと、すごく短時間で終わるのを見て圧倒されます」と話していました
山も借りて原木きのこ栽培にも挑戦しています。森にずらっと並ぶしいたけなどの原木1700本は、日本福祉のスタッフと利用者40人ほどが力を合わせて運び入れたそうです。
日本福祉が大多賀に通うことで、担い手がいなかった田んぼや山がよみがえり始めました。この『互いの森プロジェクト』がスタートしたことで、少しずつ良い変化が起こっていますが、順調に進んでいることばかりではありません。
やりたい気持ちに追いついていない体制
昔、大多賀には協同組合で経営していた『ねびそ魚園』というマス釣り場がありました。経営が困難になり、閉めようかというタイミングで「やりたい」と手を挙げたのが、当時豊田市の街中で飲食店を経営していた近藤夫妻でした。
夫妻は大多賀に移住し、27年前から『山の里たんぽぽ』という名前を付けて引き継ぎました。現在、弘志(ひろゆき)さんは80代、まき子さんは70代。高齢になり、お店を続けるのが大変になってきたため、日本福祉に引き継いでもらうことを決めたそうです。
マスを養殖するための池
まき子さん「マス釣り場をやりたいという人はたくさんいるんだけど、大きい会社に任せた方がちゃんと引き継いでくれるかなと思いました。もし途中で投げ出されることがあったら、大多賀の村に申し訳ないですから」
まき子さん「やることはいくらでもある。体が動く間は、日本福祉に協力するつもり。来てくれる障がい者の方にも包丁を教えたい。さばいて刺身にしたり、塩焼きをふっくら焼けたりできるように育てたい。資格取ってもらえば、自分で生きていけれるじゃん。楽しいよ、すごい」
2024年秋には日本福祉がリニューアルオープンするという話があったため、山の里たんぽぽとしての営業は2023年8月いっぱいで終了。しかし、引き継ぎのための具体的な動きが見られず、近藤夫妻の不安が募っていきました。
その間、日本福祉は何もしていなかったわけではなく、不動産登記の確認、地主との交渉に時間がかかっていたのですが、それがうまく伝わっていませんでした。
近藤夫妻の不安を受け止めているのが、MYパワーの担当者、梅原彰(うめはらあきら)さんです。
右端が梅原さん、左から2人は日本福祉のスタッフ
梅原さんは、電気小売事業のマネージャーをやりながら、大多賀にも足しげく通ってご夫妻がマスの養殖作業や調理する様子を把握し、困りごとがあれば駆け付けています。
梅原さん「MYパワーの役割は調整役なので、近藤夫妻と日本福祉の相談にのっています。大多賀に通うようになって、この村に愛着を感じ、望ましい未来を一緒に叶えるんだという覚悟を持つようになりました」
近藤夫妻から「リニューアルに向けて動いていることを、何か示してほしい」と言われた梅原さんは、自宅にあった木材を使って看板を自作しました。
梅原さん「マス釣り場の入り口に掲示しました。地域の人の話をしっかりと聞いて、自分ができることをできる限り早くやる。それが田舎で認めてもらうためのあり方だと思っています。看板はリニューアルが進んだら何度でも更新すればいい。少しでも前進していると実感してもらうことが大事です」
マス釣り場の引き継ぎがなかなか進まない理由のひとつに、大多賀に関わる日本福祉のスタッフが、街にある事業所の仕事を兼務していることが挙げられます。そのため大多賀に頻繁に通うことは、距離的にも、時間的にも難しいというのが現状です。
日本福祉の代表濱野さんは「大多賀にシェアハウスを作り、希望するスタッフに常駐してもらうことを考えている」と話します。
「拠点ができたら入りたい。大多賀に来たい気持ちがすごくあります」と、その日を心待ちにしているのが日本福祉スタッフの橋本真由(はしもとまゆ)さんです。
普段は、東郷町にあるジビエレストランZOI(ゾイ)のウェイターとして働く橋本さん。半月に1度ほど大多賀を訪れて、レストランの飲み水用に湧き水を汲んだり、近藤夫妻からマスを仕入れたりしています。
橋本さんは日本福祉に入る前、福島県の地域おこし協力隊として鳥獣被害対策の専門員をしていた経験があり、田舎の事情に通じています。福島ではわな猟の免許も保持し、チェーンソーの資格も持っているそうです。
橋本さん「福島にいた時は、仕事のつながりで農家のおじさんと仲良くなって、春は田植え、秋はきのこの菌打ちを手伝ったり、畑で大根を抜いたり、直売所の手伝いをしたり、いろいろやらせてもらいました。大多賀でも同じようなことができたら、毎日楽しいなと思っています」
壮大な社会実験の現場に立てる豊かさ
米づくり、原木しいたけ栽培、マス釣り場の経営は、自然環境を生かして大多賀の人たちが続けてきた営みです。
日本福祉は、高齢化と人口減少で担い手がいなくなったこれらの事業を障がい者の雇用の場として引き継ぎ、都会の人たちが自然を学び、楽しめる施設としてオープンすることを目指しています。
その実現のためには、橋本さんのようにやる気にあふれた日本福祉のスタッフがもっと必要です。
大多賀の人たちが脈々と繋いできた土地で事業をスタートするためには、これまでと同様に、住民一人一人の納得と了解が欠かせません。自治区長の池野さんは、体調を崩すほどのストレスを抱えながらも、なんとか住民の合意を取り、大多賀を将来へつないでいくチャンスを活かそうと必死になっています。
日本福祉と大多賀の間に立つMYパワーは、これまで以上にきめ細かく立ち回ることが求められます。梅原さんが大多賀への関わりを増やすためには、かわりに電気の仕事を担ってくれるマネージャーが必要です。
近年、人がいなくなるばかりだった大多賀に、「ここに来たい」という人が来たり、住み始めたりする未来。
都会ではストレスを抱えて自分らしさを発揮できなかった人が、大多賀の自然でいきいき活躍する未来。
そんな未来が実現した時、社会に与える希望は果てしなく大きなものではないでしょうか。
MYパワーの萩原さんは、この過程を「壮大な社会実験」と表現しています。
現場で、一緒に新しい社会づくりに参画したい。
そう感じた方は、ぜひ日本福祉とMYパワーの求人記事をご覧ください。
▼日本福祉求人記事
▼MYパワー求人記事
きうらゆか
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プロフィール- インタビュー
- 三河の山里コミュニティパワー, 日本福祉協議機構, 足助地区
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はじめまして、大多賀町在住の鈴木浩之と申します。
記事中の田んぼと山林の提供者です。
第三者的立場から見た大多賀プロジェクトの記事を読ませていただいて
これまでのいろいろな思いが、少し救われた気持ちになりました。
どうもありがとうございます。
鈴木様
コメントありがとうございます!直接お会いしていませんが、取材のなかで何度もお名前をお聞きしていました。互いの森プロジェクトが前進するように、引き続き応援しております。