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戻ってもひとりじゃない。私をUターンに導いた移住者との出会い、ふるさとでの結婚と子育てのこと

インタビュー

「みんな田舎に住めばいいのにねって、夫婦で話するんですよ」

そう、屈託のない笑顔で話してくれたのは、土本梓生しおさん。

周囲を山に囲まれ、川が流れ田んぼが広がる稲武地区で育ち、高校入学を機にふるさとを離れた。 そして、ぐるーっと寄り道もして、2017年にUターン。  
のちに信頼し合える相手と出会い、約2年半後には結婚、出産。戻ってからうれしいこと続きのハッピーターン!  

何もないと思っていたふるさとは、実は可能性を秘めたかけがえのない場所でした。

 

Photo:永田ゆか

 

 

大きくなったら出ていくのが当たり前

 

土本家は、夏焼城ヶ山のふもとにある。

豊田市空き家情報バンクを通じて借りた平屋に、夫の隆雄たかおさんと晴允はるのぶくんの家族三人で暮らしている。比較的すぐに入居でき、生活がスタートしやすい家だった。薪ストーブの設置や寒さ対策などDIYで改修し、自分たちの基地を居心地よくしていく作業は楽しくてたまらない。

玄関に入ると、最近は滅多にお目にかかれない藤の籠の大きな乳母車がドーンと目に入ってきた。街中だとかなりの注目度だと思われるが、ここだと周りの景色にもなじむような気もする。

梓生しおさんはその藤の乳母車を押していても何ら違和感を感じないような女性。ほがらかでほんわかした雰囲気をかもし出しながらも、どこか芯の強さも感じる。

 

梓生さんは、中学生までを稲武で過ごした。

「子どもの頃は、稲武から出たいと思っていたし、大学へも行きたいと思っていたので高校は稲武を出るものだと思っていました。それに、地域のどこにいても、誰もが自分を知っているということが嫌だったんです。後になって思えば、その年頃特有の自意識過剰で、全員が私を知ってるわけではなかったんですけどね(笑)」  

 

「稲武を離れてみて、人が自分を知っていてもいなくても、たいして気にしなくてもいいことなのだと思えました。高校生の時は兄と二人暮らしをしていて、お金の心配もまだしなくていいし、自立したような感覚は楽しかった!稲武は、大きくなったら出て行くのが普通という共通認識が、同世代の中であったように思います」  

その共通認識は、同世代だけでなく、もしかしたら当時の親世代の中にも、出て行くのはしょうがないという気持ちがあったのかもしれない。 同級生は当時約50人ぐらい。そのうちの半分以上が、高校進学を機に稲武を離れていったそうだ。 街での暮らしはそれなりに楽しく、地元に帰るという選択肢は全くなかった。

 

戻ってきても、一人じゃない

 

稲武にUターンするきっかけとなった家具と暮らし+カフェ 「ヒトトキ -人と木-」を知ったのは、岡山県にある宿『百姓屋敷わら』を訪れたとき。

 

その宿は『first-hand』という木工作家の家具を使用しており、「豊田市の家具屋さんだよ」と聞いて調べてみると、稲武に移住してきた人たちだった。その後、家具と暮らし+カフェ 「ヒトトキ -人と 木-」をオープンさせたことを知り訪れてみた。その時の何気ない会話から繁忙時に手伝うことになる。

名古屋で仕事をしていたので土日だけ稲武に帰省し、まかないご飯を楽しみにお店を手伝うという日々がスタートした。2015年春のことだった。稲武に戻ろうとか、戻る足掛かりを得ようということは、当初は全く考えていなかった。

 

「お客様もおもしろくて良い方が多く、全然疲れず楽しかったですよ」

 

またたく間に、ヒトトキの敏腕スタッフの一人になった。  
手伝いを通してオーナーの松島知美ともみさんや夫の周平しゅうへいさんのプラス思考な面や、自分たちのやりたいことを追求して行く姿を横目に時間を共有していく中で、

 

「移住してきた人たちがここで楽しく暮らしているのに、私は名古屋で何しているんだろう。 もしかして戻ってきた方が楽しいのかも」

 

そんな想いがポツリポツリと湧き上がってくるようになったそうだ。
家具と暮らし+カフェ 「ヒトトキ -人と木-」オーナーの松島知美さん(右)と夫の周平さん(中央)

「今まで、帰ってきても仕事がないのではないか、友だちは地元を離れている人が多いし帰ってきてもひとりなんじゃないかということがハードルになっていたけれど、なんとかなるんじゃないかなって思えてきたんです。それはヒトトキのおかげです」

 

遠方からのお客様も多い。稲武にいながら稲武でないような、梓生さんにとって”地元”という枠からほどよい距離感を保てる居心地の良い空間だった。松島夫妻が生きる上で大切にしたいことにも共感し、気づけば「もう稲武に戻ってくることはないだろう」という気持ちが少しずつ変わり始めていた。    

 

稲武に拠点を置く一般財団法人古橋会の存在も心のなかにあった。 義真会館という寮を名古屋市内に開設し、稲武出身の学生をサポートしていた古橋会。大学生時代にその寮でお世話になったことが、自分も地域のために何かできればという想いを育んだ。近隣や遠方から多くの人が訪れるヒトトキでなら、その想いが叶えられるような気がした。

 

「地元に戻るという決断に勇気が必要だったか、不安はなかったか、 よく聞かれるんですけど、決めたらそんなには…。 生活していくのにどれくらいお金があれば生きていけるかは計算しました(笑)」

少し間を開けて、 「あ、やっぱり勇気入りました!(笑)」

 

その時の心境とリンクしたのが、映画『インディージョーンズ』のワンシーン。

 

『崖から飛びおりろ!勇気を出して飛びおりろ!』という、飛びおりたら実は橋がかかっていて着地できるが、 崖から橋は見えないから怖い。勇気があるかを試される場面だったそうだ。

 

平日は名古屋で働き、週末は山間地に出かけて登山やマラソンをするという、暮らしのベースがいつまでも街にあることにモヤモヤしていたことも、 稲武に戻ることの背中を押した。

 

「いつかは田舎で暮らしたいと思っているのだから、実際に住んじゃえばいいんじゃないか?」

 

視点を少しだけずらしてみたとき、ふみ出してみようと思える道が目の前に開けた。

 

「仕事をやめて戻ってきても、なんとかなりました。名古屋では保健所勤めだったので、稲武に戻るのを機に薬剤師の仕事もできることに気付いてからは、むしろ楽しみなぐらいでした。薬剤師の資格を持っていたから、どうにかなると思えたところもあるので、誰にでも『帰っ てくればいいのに』とは簡単に言えないとも思っています」  

 

2017年4月、想像もしなかった新たな稲武暮らしがスタートした。

 

 

運命の人は稲武にいた

 

インタビュー中、ずっと晴允はるのぶくんの面倒を見てくれていたのは夫の隆雄さん。通称ツッチー。 生後10ヶ月の晴允くんを一度もぐずらせることもなく、コーヒーを淹れてくれたりと、さりげなく梓生さんが話しやすいように場を整えてくれる。

2018年に、自転車と共にある暮らしを夢見て、尾張旭市から移住してきた。そして、家の裏にあった小屋を自分で改装して、2020年12月に念願の土本自転舎を開業した。スポーツサイクルの販売・修理はもちろん、稲武のフィールドを生かしながら自転車の楽しさを知ってもらえるサイクリングイベントも開催していく予定だ。

そんな宝物のような夫ツッチーに出会えたのも、ヒトトキだったそう。  

 

きっかけは、当人たちは15分ぐらいに感じていた立ち話。実は2時間近くにも及び、お互いの考え方やものの見方などについて話していた。 梓生さんはツッチーのことを「人生の価値観が似ていて違和感がなく、今までの家族より楽です」と話す。

 

「まだ夫婦になって短いからかもしれないけれど、なんでそんなことするの?なんでやってくれないの?ということが全くないんです。子育ても、母親任せにしたりおろそかにしたりしないので、イライラしているのがおかしく思えてきて、自分も前向きになれるんです。お互いに感謝の気持ちがあるから…ありがたいです」

 

ツッチーに、「家で全然怒らないの?」と尋ねると、「怒る必要がないんです(笑)」

お互いを思いやる気持ちは和やか。田舎には出会いがないと言われつつ戻ってきた結果、新しい家族になる人との出会いがここにあった。  

 

学生の頃から古いことやモノに興味があった梓生さんは、薬剤師として漢方も処方できるような小さいお店を持つことも夢見ていたが、今は子育て優先。土本自転舎をサポートしていきたいと思っている。

 

そして近い将来、季節や体調に合わせた野草茶などをお店に置けるといいなという想いも膨らみつつある。

 

”身体を整える”という点で共通する『自転車とお茶』。
この二人だからこそ作れるお店が、きっとある。


以前ヒトトキで講師として開催した野草茶の会のときの一枚

 

地域・自然とのつながりを感じる子育て

 

晴允くんが生まれて10ヶ月、稲武での子育てについて聞いてみた。

 

「自分たちの頃に比べると、本当に子どもが少なくて、この先どうなるんだろうとは思う。 でも近所のおばあちゃんや、知らない人からも朗らかに声をかけられたり、 みんなに見守られていると実感するなかで子育てできてるのはありがたいですね」

「まだなかなか寝てくれなかった夏の頃、よく1~2時間、家の周辺を乳母車に乗せて散歩していたんです。すると風が吹いて葉っぱの重なり合う音が聞こえたり、鳥の声が聞こえたり、田んぼの稲がきれいだなとか、疲れていた自分の気持ちが自然の中でリフレッシュできていたんです」  

 

冬は雪が積もる日もあり、夏はある程度涼しい。緑が見えて田んぼがあって。幼い頃に身体に染み込んでいる稲武の季節感は、どこよりもしっくりと居心地がいい。

 

「近くには虫やトカゲ、動物も植物も多く、晴允がもう少し大きくなったらきっと楽しいだろうなあと。 子どもの頃、虫が怖いって親に言ったら、虫の方が怖がってるよと言われたことがありました。排除の対象ではなく、いるのが当たり前の感覚で育ってくれたらうれしいなって思うんです」  

 

現在、晴允くんの同級生は、稲武地区で8人。子どもが少ないという現状や、不便さなどはもちろんあるが、稲武で育った梓生さんは「それは 自分の親たちもそうだったと思うので」と、決して暗くはならない。

 

「他地域からの移住も歓迎ですが、私はUターンがもっと増えればいいのにって思いますね。 Uターンなら実家や土地があるので、移住に伴う「住む家がない」という問題が少ないのではないかなと。実家が近いので助けてもらうことも多く、親には敵わないなぁって思うようになりました」 

 

「家族ができてからは子どもとお散歩するだけで色々な人に声をかけられたり、近所の方が野菜やお米を持たせて下さったり、地域のつながりに感謝することも多いです」  

 

周囲の人が自分のことを知っていることが嫌だったという頃、まさか自分がこうやって育った場所に戻り、家族と共に地域とのつながりのなかで暮らしているとは想像すらできなかった。  

 

思いがけないことがきっかけでつながりができ、自分のこだわりに身をゆだねて動いたところに、仕事あり、出会いあり、家族あり。

 

梓生さん的には、稲武は腐れ縁だとか。
この場所で、いくつもの環が連なっていく。 
今は、そんな運命に感謝しながら、新しい家族と共に暮らしを紡いでいる。

土本梓生(つちもと・しお)1983年生まれ。旧稲武町出身。高校時代を岡崎市、それ以降は名古屋市で過ごし、2017Uターン。中学時代から唯一続いているのは走ることで、フルマラソンの自己ベストは4時間4分(いびがわマラソン)。阿蘇ウルトラマラソンは64kmでリタイアしたのが心残り。名古屋では片道10kmをマウンテンバイクで通勤していたので、自転車と全く縁がなかった訳ではない。
パートナーの土本隆雄さんが営む土本自転舎の情報はコチラ↓
HP http://www.inabu-cycle.com
Instagram https://www.instagram.com/tsuchimotojitensha/
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取材 オクダキヨミ

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山口県光市生まれの広島育ち。 ヒロシマから長野県を経て、豊田市へ2010年に移住。 生活のベースを山に置き、生産・循環的暮らしを楽しみながら、たまには都会に...

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撮影 永田 ゆか

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静岡県静岡市生まれ。 1997年から長久手市にあるフォトスタジオで11年間務める。 2008年フリーランスとして豊田市へ住まいを移す。 “貴方のおかげで私が...

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