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【いいかげん移住体験記】vol.1 都会志向のじゃじゃ馬娘が、豊田にたどり着いた

コラム

いいかげん移住体験記では、2020年4月に豊田の田舎に移住する予定の大山眞記子さんが、そこに至るまでのこと、移住してみて、をタイムリーに綴っていきます。きっちりしすぎない”いい加減”と、ちょうどいい意味での”良い加減”な体験記、はじまります。カバーイラスト:konoirokonoiroillustration

新しいステージ

運命の空き家を初めて訪れたのは2019年7月。

この日は豊田市空き家情報バンクに登録された物件を見に行くことになっていました。

当初、見学は私1人の予定でしたが、雨で仕事が休みになった夫も一緒に稲武支所へ向かいました。約束していた物件を見に行こうと地図を開いていたら、「後でこっちの物件も見られますか」と、町から片道25分の人里離れた山の上にある家を指す夫。私は内心「ここはないだろう…」と思っていましたが、 まぁ時間もあるし否定する理由もなかったので見学をお願いする事にしました。

くねる山道。すれ違う人はいない。もちろんお店もない。 だけど道はきれいに舗装されていて、木々のトンネルを潜りながらの道のりはなかなか楽しいものでした。

6つの集落からなる大野瀬町は、豊田市の中山間地 稲武地区に属す る人口約200人の小さな町。私たちが降り立ったのは標高700m、一面緑に囲まれた「大桑」という集落。 お隣さんまでの距離はざっと計って50mくらいでしょうか。 道を挟んだ家の前には田畑が広がっていて、ずっと先に見える山の麓まで何も視界をさえぎるものはない。

一見何もない田舎町。不便な山の家。
ここに次春、移住することを決めたのはこの日から1ヶ月程経った時でした。

初めまして

私は豊田市大林町に住む主婦で2児の母。フリーのイラストレー ターとして活動を続けながら、週2回野菜配達のお手伝いもしています。 夫は造園業を営み、2才と4才の娘たちがいます。

このコラムでは、私のことを知っていただきながら都会から田舎へ 移住を決めた経緯、そしてこれから実際に移り住む体験、暮らしてみての実感などを全6回にわたってお伝えしていきたいと思います。 お付き合いいただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

生い立ち

さて、私という人間がどういうわけでここに文を綴ることになったのか…出生からたどっていけば何か手がかりがつかめるでしょうか。
 

生まれは京都府亀岡市。山に囲まれた自然豊かな盆地です。繁華街や観光地も広がり、今では田舎と都会どちらの顔も持ち合わせているような町です。

芸術好きで優しい父と活発で料理好きな母の長女として私は生まれました。 祖父母、そして弟2人の全7人家族。

祖父が育てた野菜を母が調理し、父が美味しいと食べて祖母が喜ぶ。 そんな温かい家庭に幼いながらも幸せを感じていました。

この頃の楽しみは、おばあちゃんに連れられて通っていた茶道教室でした。四季折々のお花やお茶菓子がとてもきれいで好きでした。そして、お点前(お茶を点てる一連の作法)を覚えるたびにそれ が自分の自信になるような感覚がありました。

 中学では吹奏楽部に入りユーフォニアムという大きな金管楽器を担当していました。 いいチームでしたよ。年に1回吹奏楽コンクールがあって、それが部員みんなの良き目標となっていて。 先生と部員が一つになって目標に向かっていくあの経験は、後にも先 にもない貴重な時間でした。
 

地元の公立高校に進み、片道約10キロの自転車通学が始まりました。
体力、忍耐力が自然と鍛えられましたね。 お年頃の私はこの頃からファッションを意識するようになって、「人 と同じじゃ嫌」という気持ちが芽生えはじめました。かなり個性が強かったですね、古着をまとってイタリアの古いスクーターVespaを乗りまわす女子高生!同世代では変わり者だったと思います(笑)。

都会へ

「自分一人でどんだけの事が出来るか知りたいねん!」…この一点 張りで親を説得し、高校卒業と同時に名古屋の短大へ進学。憧れの都会暮らしを始めます。 見るもの全てが別世界みたいで心踊りまし

しかし、ただただ都会に憧れる好奇心旺盛な田舎の子にとってはカルチャーショックも多く、次第に心が折れ始め…。

「思ってたんとちゃう…」ほれ、みてみいと呆れ顔の親をなだめ1年で退学。自分探しの日々へと突入します。

就職

二十歳、「やりたいことやらんでどうする!」と、おじいちゃんの 喝で目が覚め一念発起。 憧れていた化粧品会社に直談判の末入社が決まり、人生の活力を取り戻しました。  販売員時代はノルマもありましたが、それでも楽しかったです。 会社に貢献できることが喜びだったんです。

季節の新色が出るタイミングで、ショーやアドバイス会をするのですが、その企画を担当できるようになってからは楽しさが倍増しました。やりがいもありました。 しかしちょっと働きすぎたかな…。プライベートではマッサージやエステばかり行って癒しを求めていて。体、疲れてましたね。

好奇心

二十代後半、もっと興味を広げようと料理、お菓子、中国茶、イラ スト、スノーボード、など、感じるままにいろいろやってみました。 これだ!っていうのに出会いたかったんだと思います。 その結果、交友関係がとても広がりましたね。

泰介さん(現夫)に出会ったのもこの頃です。 彼は音楽活動をしていて仲間が近くにいましたし、私は似顔絵をライフワークにし始めた頃で、活動の場を街に求めていました。 当時の私たちに田舎思考は全くなかったです。むしろ都会の方が暮らしやすいと感じていました。

都会の田舎

私たちが暮らしていたのは名古屋市でしたが、西区の押切町周辺は 昔からの下町で、横のつながりが未だ濃く残っている地域でした。 昔ながらの長屋を借りていたので必然的に町内のお役を受けることもあり、その時には近所の方々にだいぶ助けてもらいました。

通っていた銭湯では、「入浴ついでにアルバイトしない?」と声をかけられ番台役に。そこは地域の情報交換の場で、お土産やおかずのやりとりも多かったですね。一人暮らしのおばあちゃんが徘徊を始め た時もここで情報共有し、みつけたら一緒に歩いて帰ることも度々ありました。 ここでは都会にいながら、古き良き人情みたいなものを感じていました。いい町でした。

泰介さんの転機

この頃、音楽活動をしながら大手工場で働いていた泰介さんですが、 不況のあおりを受けて工場から突然の解雇通達を受けます。 音楽活動だけでは食べていけるわけもなく…新たな職を探す中で「職 業訓練校」の存在を知ったんです。 そこで心機一転、庭師を目指し始めました。

訓練校で勉強すること1年、当時先生をされていた方のご縁で、豊田市内の造園会社に就職が決まりました。

それが11年前。私たちの豊田市ライフの始まりでした。

 

続きはこちら↓

大山眞記子

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京都府亀岡市出身。高校卒業後名古屋での都会生活を経て、豊田生活11 年。ママイラ ストレーターをしています。夫は造園業を営んでいる沖縄出身イクメンパパ。 2...

プロフィール

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  1. キャサリン

    連載開始おめでとうございます!
    楽しみに読ませてもらいますー!
    \(^o^)/

    • 大山眞記子

      キャサリンさん 
      メッセージありがとうございます。
      田んぼも畑もゼロからの古民家移住。
      夢だけじゃ語れない移住のリアルをそのままにお伝えしていけたらと思っています。
      どうぞ今後もお楽しみくださいませ♪
      大山眞記子

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