2022年 3月

インタビュー

東京からUターン起業。青木さんが会社員とフリーランスを行き来して見つけた“自分らしい”働き方

一方、コロナ以前から、山村地域での働き方に変化がすでに起きている。「多業」とよばれ、自営業、フリーランス、非正規雇用など多種な仕事を掛け持つ。「学校を卒業して都会へ→会社に就職→定年退職」というルートは、山村地域への移住者には間尺があわないようだ。「田舎では仕事がない」という定石も、くつがえされている。そのひとりは、青木宏和さんだ。システムエンジニア(SE)をする傍ら、フィットネスインストラクターとしての顔を持つ。

インタビュー

葬祭ディレクターの肩書を持つキャンプの達人。大人も子どもも巻き込んで地域をつなげたい!

豊松お野人会(とよまつおやじんかい)そのインパクトのある名前を見れば、誰もが「何をする会なの?」と不思議に思うのではないだろうか。 豊田市坂上町にある豊田市立豊松小学校。近くには、徳川ゆかりの地の松平東照宮があり、豊かな自然に恵まれた場所に建っている。豊松お野人会は、豊松小学校に在籍する児童の父親によって運営されている親父の会で、大橋健一さんはその発起人の一人だ。婿として移り住んだこの松平地区で、息子さんを豊松小学校に通わせている。

コラム

ふるさと旭、離れてみてわかること|なぁなぁ!田舎ってこんなに楽しいんだぜ!第5話

みなさんはじめまして!あさぷろメンバーのゆうです。京都大学法学部3年生の松井優(まついゆう)と申します。中学生までを豊田市旭地区(保育園に通っているときに豊田市に合併しました)にて暮らしました。その後、進学を機に旭を離れ、現在は京都市内で暮らしています。今回は、あさぷろメンバーである私から、旭やあさぷろとのこれまでの関わりや、私が今考えていることについて紹介していきます。最後までお付き合いいただけますと幸いです。

コラム

縄文の宝庫・足助町に2体のビーナス!?|足助重伝建地区選定10周年コラムvol.4

足助重伝建地区10周年コラムvol.1『なぜここに?高所金庫の謎を解く』では、足助中馬館に行って話を聞いたのですが、「足助資料館に行ってみれば、外にある金庫の扉のことが、もう少し詳しく分かるかもしれない」という情報を得ました。このとき、足助中馬館では『あつまれ じょうもんの土器』というイベント名で縄文土器を展示中だったのですよね。

インタビュー

持ち続けた一流のプロ意識。足助最後の芸者、後藤さんの歩んできた道

”ここのお部屋もよう使わせてもらって。舞台で踊ったこともある。なかなかいい料理屋さんだったよ。いいお客さんが入って。宴会が多くて。” 目を細めてそう話すのは、後藤久子さん。後藤さんは、修行時代を経て21歳から足助で芸の道を歩み続けてきた。「塩の道」、「中馬街道」と呼ばれ江戸時代から物資の輸送路として栄えてきた足助の町。明治末期から芸者が存在していたと言われ、昭和20年代には70名ほどがいたと記録されている。

コラム

ガラ紡でつむぐ里山の価値|おじいちゃん、おばあちゃん、わたしもガラ紡やります!第6回

コラムは今回が最後。松平での私の活動とともに、ガラ紡で紡ぎたい価値を紹介して、締めくくります。私がお借りしている畑のご夫妻は、すでに80代後半。お二人とも杖や手押し車が欠かせません。土とともに生きていて、畑の季節には毎日のように作業をされていました。

インタビュー

豊田で長崎への移住準備?デザインを学んで福祉の世界に?想いを叶えるため”越境”する生き方

夫婦で豊田市に住みフリーランスで仕事をしながら、いずれは両親がUターンした長崎県松浦市への移住を考えているという松永結実さん。愛知県と長崎県という離れたふたつの拠点でゆるやかなつながりを育む暮らし、『デザイン・編集』と『福祉』の分野をまたいで自分らしい働き方をする暮らしには、新しい生き方のヒントがあふれていた。

コラム

たくさん迷ったから、たくさん学べたんだ|なぁなぁ!田舎ってこんなに楽しいんだぜ!第4話

先日はメンバーと一緒に薪割り合宿をしました。二日間マジで薪割りしかしないっていう鬼畜な企画でしたが、メンバー一丸となって死ぬ気で割りまくりました。途中で薪割り機が動かなくなったり、割った薪からゾウムシの幼虫が出てきたりと、さまざまなアクシデントはありましたが、なんとかみんなで乗り切りました…。ですがみんなで汗を流すって楽しかったんでOKです!というわけで(?)今回は前回の続きで、あさぷろの今までの活動を振り返っていきたいと思います。

コラム

ご飯が尽きない!?お釜のある神社|足助重伝建地区選定10周年コラムvol.3

今回は、足助重伝建選定10周年事業実行委員会で『足助の町並みにある紹介したい“モノ”』として取り上げられた中から、お釜稲荷について綴りたいと思います。実行委員会の方から寄せられた情報は「大きなお釜がある」、「木の木目が狐に見える写真が飾ってある」というものでした。今回はその巨大なお釜がなぜ祀られるようになったのか、飾られている写真は何なのか、その謎に迫っていきたいと思います。