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葬祭ディレクターの肩書を持つキャンプの達人。大人も子どもも巻き込んで地域をつなげたい!

インタビュー

豊松お野人会(とよまつおやじんかい)
そのインパクトのある名前を聞けば、誰もが「何をする会なの?」と不思議に思うのではないだろうか。

 

豊田市坂上町にある豊田市立豊松小学校。近くには、徳川ゆかりの地の松平東照宮があり、豊かな自然に恵まれた場所に建っている。

豊松お野人会は、豊松小学校に在籍する児童の父親によって運営されている親父の会で、大橋健一さんはその発起人の一人だ。婿として移り住んだこの松平地区で、息子さんを豊松小学校に通わせている。この地域の豊かな自然を活用したアウトドア体験を通して、子どもたちやその保護者に、地元の素晴らしさを認識してもらい、地域活性化と将来の定住者の増加を図ることを目的に活動を行っている。

 

キャンプインストラクターや、バーベキューインストラクターの資格を持ち、アウトドアの楽しさを子どもたちに指導する大橋さん。

 

彼が持つもうひとつの姿が、厚生労働省認定の葬祭ディレクターと、終活カウンセラー協会認定の終活カウンセラーである。

JA あいち豊田サービスで、葬儀の仕事に携わって今年で12年。心を込めたお見送りを続けている。また最近では、地元において、終活カウンセラーの講師としての活動も増えてきた。

 

これからの世の中を支えて行く世代と、これまでの世の中を支えてきた世代。

その双方に寄り添いながら、地元を愛する事の大切さを、周りへと伝えていく大橋さん。ジャンルのまったく違う二つの活動を通して、彼が日々思うことは何なのか。

「自動車に携わる仕事をしたい」との想いを持ち、社会人生活のスタートを切った大橋さん。

人生の分かれ道を、ポジティブな気持ちで、自然に示された方向へと選び取っていくことで、たどりついたこの地とこの生活。「一つ一つの小さな選択が、こんなにも楽しくて、幸せな今を作っているのです」と、笑顔で語る大橋さんに、これまでに通って来た道のりと、現在の活動の様子を伺った。

自然と親しみながら育った少年時代

 

今年45歳の大橋さんは、名古屋市緑区で生まれ育った。近くには大高緑地公園があり、外で遊ぶことが大好きな少年だった。

 

「小学生のころは、勉強は苦手でした。学校へ行くとおとなしい根暗なタイプ。PTAの活動に携わる今の姿を、小さい頃の友達に教えると驚かれるくらい、幼い頃は内気な子どもでした」

 

中学校も同じ学区で通い、刈谷の工業高校へと進学した。自動車関係の仕事に興味を持っていたので、その勉強が出来ることが選択理由の一つだった。卒業後は希望していた豊田市の大手自動車会社への就職を叶えた大橋さん。しかし、5年の月日が過ぎる頃には、もやもやした気持ちが次第に強くなっていった。

 

「やりたかったのは、実験をしたりテストをしたりする開発関係の仕事。製造の方へ配属されて、同じことの繰り返しの毎日が苦痛だったのです」

 

その想いはだんだんと強くなり、退職する道を選択。しかし、車の仕事は続けたかったので、今度は製造業専門の派遣会社に登録し、同じ自動車会社の開発部門に派遣社員として勤務するという道を選んだ。

 

「念願が叶った開発の現場でした。しかし、派遣の契約が4年で打ち切りになったので、自動車関係の仕事は諦めて、所属していた派遣会社の営業の仕事に就きました」

 

 

自動車業界の仕事を離れ、派遣会社の営業職に

 

営業職として大阪や岐阜の営業所に勤務し、決まったノルマを得る事に苦心する毎日。その頃に結婚をした豊田に暮らす妻と離れて暮らすことになるなど、晴れない気持ちが少しずつ積み重なっていった。

「色々と考えた末、妻の父が経営している自動車部品製造の町工場を継ぐことにしました。妻の家に養子に入り、実家がある松平地区へと移り住んだのもその時です」

「子どもの頃から山に対する憧れがあったので、田舎へ来ることの抵抗はまったくありませんでした。最初に来た時から、山暮らしを満喫してやろうと思っていました」

 

思いも寄らず葬儀の仕事に就く

 

妻とともに、現在の地で新しい生活を始めた大橋さん。長女も産まれ、5年間は家族経営で自動車部品を作っていたが、またもや人生の転機が訪れた。

「その頃に起きた東日本大震災のタイミングで、実家の工場をどうしようかという話になりました。今後も続けて行くのか閉めるのか。その時に、たまたま義父の口利きで、JAあいち豊田サービスの葬儀部門への就職の口が見つかりました。事業拡大につき、人手が必要との話でした」

当時32歳だった大橋さん。今まで経験のない仕事ではあったが、その世界へ飛び込んでみようと思ったのは、以前の営業の仕事で経験した「顧客とのふれ合い」が少なからず影響を与えていたのだという。

「営業の仕事をするうえで、お客様と色々な話をするのが楽しいという気持ちがありました。葬儀も究極のサービス業であるがゆえ、楽しいとはまた違う、人とのかかわりあいを経験できるのではないかと思い、就職を決意しました」

 

アウトドア好きの趣味が高じて

 

葬儀の仕事を始めたのと時を同じくして、大橋さんに「子どもを連れてキャンプに行きたい」との想いが芽生えてきた。しかし、田舎で育った妻には、自然に親しみたいというその想いはまったく理解されない。また、子どもが小さすぎることもあって、家族でのキャンプの機会はなかなか実現しなかった。

家族が無理なら自分だけでもと、大橋さんは一人でアウトドアの趣味をスタートさせた。当時は、今のようなソロキャンプブームはまだ到来しておらず、道具も情報も少なかったが、そのぶん自分で工夫して実行したときの達成感は何物にもかえがたかった。

 

その趣味が高じて、子どもが通う小学校で、仲の良い父親仲間と「キャンプ好きな人が集まって何かできないか」という話になった。

「自分たちが発起人で、声をかけてやってみよう。親父の会だとつまらないから、アウトドアだし、野人もかけてお野人会だとちょっと面白いよね、という話になりました」

豊松小学校の児童数は現在45名。

「だんだんと子どもが減ってきている地域だ、という懸念がまずありました。お野人会が活動をすることで、地域の魅力を子どもたちに再発見してもらう。さらには、地域貢献をしながら、定住促進とか、定住移住でこちらに来てもらえる魅力的な場所にしたいねという想いもありました」

豊松小学校の校区なので、その名前をつけて「豊松お野人会」。発足して今年で4年。以上がそのスタートのいきさつだ。

 

こうして、葬儀の仕事をしながら、お野人会の活動も始めた大橋さん。そのそれぞれの活動について、彼が感じていることを聞いてみた。

 

葬儀の仕事、終活セミナー

 

 

「僕は、葬儀の仕事に、とてもやりがいのある仕事だと思っています」

 

葬儀という特殊な場面で、最後には「ありがとうございました」と言っていただける。商売であれば、こちらがお客様に対してお礼を述べるのが普通であるが、双方が感謝でしめくくることができる仕事は、なかなかないと大橋さんは言う。

 

「人によっては、葬儀の仕事に対して、後ろめたい気持ちを持っていたりします。でも、僕の中では葬儀に対しての悪いイメージはありません。もともと、仏教に興味があったのもありますが、映画『おくりびと』で描かれているように、人のためになる仕事だと思っています」

 

終活セミナーの講師の仕事にも充実感を感じている。大橋さんは葬祭ディレクターの経験から、いつか来るその時を迎えた際に、後から後悔したり、慌てたりせずに済むような知識が必要だと考えている。

「とてもデリケートな話題なので、親世代も子世代も、お互いになかなか言い出しにくい。だから、こうしたセミナーを開催することで、双方がスムーズに話し合える雰囲気を作ることができたらいいな、と思っています」

 

「最初は、会社でのスキルアップの一環として取得した終活カウンセラーの資格でした。しかし、地元の松平交流館で、終活のセミナーを開催する機会を得た時、これは地元のみなさんの役にも立てる仕事だなと思いました。今は、勤め先からの派遣として、終活の講師をしていますが、ゆくゆくは自分個人でもセミナーを開催したい。そうすれば、更に多くの人の役に立てると思っています。そのためにも勉強を続けていきたいと思っています」

 

”地元のために”という想い

 

大橋さんの中にある地元のために何かをしたいという想い。それはお野人会の活動にも色濃くあらわれている。

 

「僕はこの地域に来て、もう15年が経つけれど、この場所が持つ魅力を、今でもすごく感じています。同時に、自分の子どもが通う小学校が、だんだんと小さくなっていくのを目の当たりにしたりして、地元に対する危機感も感じています」

「地元が好きな子になってほしい、大人になって一度は出て行ってもまた戻ってきてほしい、という想いで、色々なイベントを開催しています。子どもの頃の体験が、大人になってから、思い出として生きてくると思うので、こんなに楽しめる場所が身近にあることを、どんどんと伝えていきたい」

 

地元の魅力を活かした自然体験。それがこの場所での楽しい記憶となり、地元愛護の精神を育んでいく。また、この地域で過ごすことの楽しさを、どんどんアピールすることで、ここへの移住を考える家族の、選択理由の一つになればとも思っている。

「僕たち子育て世代は、サラリーマンの家庭が一般的。昼間は仕事で隣近所と顔を合わせる機会がありません。なので、なにかと機会を作って、集まるきっかけにしたいと思っています」

小学校の親が大橋さんの自宅にある小屋に集合してイベントを計画することもある

 

 

移住してきた人達が、気楽に顔を出せる場を設けることも気にかけているという。

「だから、子どもたちや、それを取り巻く大人たちも一緒に楽しめるイベントを色々と考えました」

 

大人たちも巻き込んで

 

「近隣にあるお寺の境内で開催されるマルシェであれば、アウトドアに興味のないお父さんも気楽に顔を出して手伝いをすることができる」と『さばくる市』という名前でマルシェを開催したことがある。バーベキューインストラクターの大橋さんがふるまうステーキは、子どもたちを喜ばせ、大橋さん本人を含めたまわりの大人にとっても、楽しい時間となった。

 

新型コロナウイルスの影響がで始める以前は、子どもたちとの田植えや稲刈り、全学年を通しての宿泊キャンプを実施した。時には放課後児童クラブのメンバーと一緒に、川遊びにいそしんだ。松平地区の祭りでは、自分たちで切った木を薪にして販売したこともあった。

 

 

また、地域連携の一つとして、小学校の防災キャンプにお野人会のメンバーが講師として参加し、災害時のトイレについての知恵などを、子どもたちに披露する機会もあった。

 

「これからは、アウトドアの活動プラス防災に関しての取り組みを、積極的に行っていきたいと思っています」

 

「子どもたちから見たら、お父さんは大黒柱。そのお父さんが災害時にあたふたしないように、子どもと一緒に、保護者の方も参加できるような防災イベントを、やっていけたらいいなと思っています」

 

今後の活動についても、あれこれと湧いてくるアイデアは後を絶たない。本職の仕事と合わせると、かなり忙しい生活を送っているはずの大橋さんだが、その原動力となるのは、一体何なのか。

「お野人会の活動をやっていて、楽しかったという子どもたちの声を聞くと、やって良かったとの強く思います。葬儀の仕事と同じ様に、誰かに喜ばれることが、自分の喜びにもなっているのを感じるのです」

 

「若い頃に受けた自己啓発セミナーが、いい影響を与えてくれたのかもしれません。その時に、自分に足りないと言われたのが、”人に感謝されること”や、”自分から何かをすること”だったので」

 

自分本位の考えに傾きがちだった若い頃の大橋さん。そのセミナーを受けた影響で、周りに貢献することを伸ばしていった方がいいのではないかと、漠然と思うようになった。

 

後悔しないように、前をむく

 

大橋さんがセミナーを受けたのは、好きだった自動車の仕事から離れる選択をした時期だった。彼の人生にとって、その大きな選択が正解だったと思うためには、ポジティブでいることが何より必要だったのだという。

 

さらには、葬儀の仕事を選んだことで、自分自身の生き方にも影響を受け「後悔しないように毎日を送ることが必要だ」と考えるようにもなった。

 

「ポジティブに」、「後悔しないように」。
それが今の様々な活動をささえるベースになっている。

 

今まで来た道を振り返ると、転職や移住など、たくさんの紆余曲折があった。それをポジティブに捉えてきた大橋さんは、今、「全てにおいて、自分の願った通りになった」感じている。

 

「今の生活が本当に楽しくてハッピーです。実は、養子になって苗字が変わってから、姓名判断で運も上がったんですよ。苗字が大橋になってから、人との出会いも増えた気がします」

大橋さんが、過去に選択したすべてが今の幸せにつながっている。その幸せをほかの人とも分かち合えるように、新しく小学校に入ったお父さんたちも、どんどん巻き込んでいきたいと思っているのだそうだ。地元の地主さんから遊び場として借り受けた土地を利用して、野外教育の拠点として整備していく計画もある。

地元の地主さんから借り受け、遊び場として整備していく場所

 

「今のお野人会は、この豊松学区だけの活動だけど、今後はその輪がだんだんと大きく広がってほしい」

そんな大橋さんの願いは、そのポジティブな姿勢によって、きっと叶えられていくのだろう。

(インタビュー  佐治真紀/撮影・執筆 中島かおる)

大橋健一(おおはしけんいち)さん 名古屋市緑区出身、豊田市在住。豊田市内自動車メーカーにて勤務していたが人とのつがりのある仕事がしたいという思いが大きくなり地元JAの葬儀部門へ転職。その頃からソロキャンプ、バーベキューをさらに極めたいとの思いからキャンプインストラクター、バーベキューインストラクターに。現在は仲間と豊松お野人会を立ち上げ子供達に野外活動や防災などの体験を実践。終活カウンセラーとしてセミナー講師もしています。

中島かおる

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名古屋市在住のカメラマン。ご縁があって、イレギュラーで三河山間部とつながりのある仕事をしています。 撮影歴は20年。かけがえのない瞬間を大切に残すお手伝いが...

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