会社員・袋さんは、なぜ7年もの間、週末に街から田舎へ通い続けるのか?

インタビュー

トヨタ自動車株式会社の従業員である、袋真司さん。サラリーマンである彼は、休日になると豊田市惣田町の森へやって来る。迎えるのは86歳の林業家、渡辺豁(ひろし)さん。2人が出会って9年。袋さんが2015年に間伐ボランティアチームを立ち上げ、それ以来7年通い続けて、東京ドーム一個分(約30,000㎡)の山林の手入れを続けてきた。かつて暗かった森には、今は光が差し込むようになった。

山仕事のどこに惹かれて、袋さんは惣田に通い続けるのか。その理由を探ってみた。

出会いは「豊森なりわい塾」

 

「あの頃は袋さんの髪も、黒かったもんねぇ」。アルバムの写真を見ながら、渡辺さんが笑う。つられて袋さんも笑う。2人はもうすぐ、出会って10年を迎える。86歳と50歳。およそ親子ほど年の離れた、田舎の年長者と街のサラリーマン。絆を感じるその姿の始まりは、「豊森なりわい塾」だった。

豊森なりわい塾とは、豊田市山村地域で「歩く・見る・聞く」ことを通して地域を知り、地域に学び、これからの生き方・働き方・社会について考える講座。塾生は、月に一度、土・日曜日の2日間、年8~10回の講座で、世界の経済・環境・エネルギー・食糧問題などの広い視点を得ると同時に、山村地域で脈々と受け継がれてきた伝統や知恵を学び、森林や農業の課題などを考える。

2013年、袋さんが受講した年の受け入れ地域が、豊田市旭地区惣田町。その地域で受け入れの代表の役目を担っていたのが、渡辺さんだった。

「はじめは、素人に毛が生えたような人たちがやってきて、何ができるんだと思ったよ。でも今じゃ袋さんは、惣田になくてはならない人だ。あの時の出会いがこんな風に続くなんて、思ってもみなかったなぁ」

 

サラリーマンでは消えなかったモヤモヤ感

 

袋さんは、富山県の出身。自動車の仕事がしたくて、トヨタ自動車に就職した。高卒での就職だったが、ちょうどバブル全盛期で、トヨタ自動車も高卒採用がある時代だった。「車のエンジンの開発の仕事がしたい」、そんな夢を抱いて愛知県にやってきた袋さん。しかし現実に与えられた仕事は違っていた。

「生産技術という部署で、車を生産するための工場や設備を作るのが、僕の仕事でした。いろいろ勉強させてもらえ、仕事は楽しかったですよ。でも、もともとやりたかったこととは違うなというモヤモヤは残りました」

そんな日々を過ごす若い袋さんのもとに、ひとつのチャンスが訪れる。社内ベンチャーを立ち上げられる機会を得たのだ。袋さんは先輩と2人でカーナビアプリを作る企業を立ち上げた。29歳から6年間を、東京のその会社で過ごし軌道に乗せてから、再び今の職場に戻った。

「自分たちでイチから取り組んだからこそ、感じられたこと、考えられたことがありました。経営のためにどうやって資金を得ていくんだとか、そもそも仕事って何だろう?働くってなんだろう?とか。社内といえども自分たちで起業した経験は自信になりましたし、自分はそういうことが好きなんだということもわかりました」

 

「木がかわいそう」…惣田の現実とは

 

一方、惣田の山とともに人生を過ごしてきた渡辺さんは、山の現状を歯がゆく思っていた。渡辺さんはこの地域で育ち、学校を出てからはずっと山仕事に携わってきた。時代とともに変わっていった山の姿も、ずっと見てきた。

「昔この地域ではね、米も取れたし、蚕もいたし、竹や炭もあった。田舎で十分生活ができました。戦後、拡大造林の時期に山に一気に木を植えてね。その頃私も植えましたよ。木が育つ一方で、日本は工業の時代に入り、人はみんな出ていった。昭和30年代になると、バスが来てね、一斉に乗って街に仕事に行って、夜帰ってくる。木なんて儲からないから、誰も面倒を見ない。かわいそうですよ」

 

スギやヒノキの価格は、1980年代の1/4に留まったままの今、間伐する人もいなくなり、ひょろひょろと上へ伸びた木は、十分に日が当たらず、養分も貯えられず、木材としての価値を落としながら暗い森を作る。何とかしたくても、機動力のありそうな若者は、都会へ働きに行ってしまう。人手がない。そんな時に声をかけてきたのが「豊森なりわい塾」であり、そこには袋さんをはじめとした「まちの若者」との出会いがあった。

「七森会」を立ち上げ、惣田へ

 

「豊森なりわい塾」で1年間学んだ袋さん。卒塾後に豊森の事務局スタッフが催したイベントで初めてチェンソーでの間伐を体験した。思い通りの方向に木を切り倒すことができた時の爽快感にすっかり魅了され、「とよた森林学校」の初級間伐講座を受講し、その後、間伐ボランティアチーム「とよた旭七森会」という会を立ち上げた。

間伐するフィールドを探す中で、既に豊森を通してお付き合いのあった渡辺さんをはじめとした惣田町との付き合いが改めて始まることとなった。1年間の学びだけで終わらずに、袋さんが惣田町とのつながりを持ち続けた理由。そこには、サラリーマンとして仕事をするのとは違う魅力があった。

 

「豊森なりわい塾で、ひろしさん(渡辺さん)に聞き書きをした時に言われたことが2つ、心に残っています。ひとつは、昭和30年代を境に、農業林業をしてきた人たちが工業の仕事へと変わり、それが中山間地域の過疎化につながったという話。つまり、自分が今こうしてトヨタ自動車で働けているのも、旭地区の皆さんがその時期に工業の仕事に携わってくれた恩恵を受けているわけで、その恩返しがしたいと思いました」

もうひとつは、100年先のことを考えて生きているんだよ、という話。木は1年や2年では簡単に育たない。100年先に困ったって、もう取り返しはつかない。だから今、100年先を考えながら、やっているという話を聞いて。自分の代で利益を出すということだけでなく、次の次の世代を考えて暮らしているということを、素晴らしいなと感じました。普段の仕事では、どうしても目先のことばかりに意識が行きがちだけれど、一方でこうした広いスパンでの視点をもてることは新鮮でした」

木は、自然に生えて、美しく整っているわけではない。実は人の手を加えて形を保っているのだと、豊森なりわい塾に入って気づいた袋さん。

「里山は人の手が入って初めて維持されるんですよね。僕たちが週末に山に入って、少し手入れをすることが、未来につながっているんだと感じられる。それが僕にとってのモチベーション。そしてまた次の世代の人が、山をより良くしていってくれたら…という感覚でやっています」

惣田は「ただいま」と帰る場所になった

 

七森会のメンバーは設立時14人でスタートし、現在は20人以上。七森会と惣田町の山主との仲介役を渡辺さんが買って出てくれるからこそ、取り組みが続いている。渡辺さんは自分のことを「小さな歯車のようなもの」と言う。

「いろんな人がいる。協力的な人もいれば、よそ者に自分の山に入ってほしくないという人もいる。それは人それぞれ。そんな中でも、山を何とかしてほしい人がいて、やってくれるという袋さんのような人たちがいて、そこをどうにかしてつなぐことが自分の役目」

周りの大きな歯車を回すためにはなくてはならない、頼もしい存在だ。

「いやぁ、豊森なりわい塾に関わってから、ずいぶん多くの人に会いました。若い人にパワーをもらえて、今こうして元気でいられます」と笑う、渡辺さん。偉ぶったところが無くて、いつもあたたかく迎えてくれる渡辺さんだからこそ、袋さんも会いに来たくなるのだろう。

惣田町で手入れを続けている山林の近くの古民家を借り、「惣田BASE」と名付けた。袋さんをはじめとした間伐ボラティアメンバーの活動の拠点になっている。

「気づけば、こちらに来る頻度が、どんどん上がっています。もう、ここに帰ってくる、というような感覚です」

取材時には、渡辺さんが戦時中の話をする姿もあった。

「みんな弁当が無くて、学校にサツマイモ持っていくんだよ。襟にはシラミやノミがいっぱいいてね、それを絶やす薬もない。風呂も入れんくて耳なんか垢だらけだった。そういう時に親切にしてくれた人のことは忘れられんねぇ」

今では貴重なそんな話を、袋さんは目を閉じて穏やかに聞いている。

「木を伐採した時に、すーっとそこから光が入ってくる。その美しさが好き」と袋さんは言う。

「伐採するのって、木を切り倒してやったぞ!というような達成感ではない。今までそこで生きてきた木を倒すわけなので。でも、森としての健康を保ってあげられたという想いは沸く。森の一部になれたような、未来への糸を1本つなげられたような、そんな気持ちになるんです」

袋さんの森への眼差しは、どこまでも優しく、あたたかかった。

この地で育ったわけではない。それが仕事なわけでもない。けれども地域の困りごとを軽減し、魅力的な先輩とともに100年先を思い描ける。袋さんの週末には、お金には代えられない充実した時間がある。まちの日常とは違う、広い森の中。木々に囲まれてこそ、感じられることがある。それを想いある人と共有できるひと時こそ、至福の時間なのだろう。 

1973年、富山県富山市生まれ。幼い頃から自動車に興味が深く、自動車会社に就職。社内ベンチャーの経験と豊森なりわい塾での学びから山仕事に興味を持ち、チェーンソーの使い方を習得。仲間と森林ボランティアチーム「とよた旭七森会」を設立し、旭、小原で週末に活動中。中山間地域とのつながりを大切にし、地域の草刈りやお祭りにも参加し、交流を深めている。最近は、特殊伐採技術を勉強中。とよた旭七森会 https://www.facebook.com/nanamori.asahi.toyota(更新頻度が少なくてすみません。ぜひ豊田市惣田町に実際に会いに来て下さい)

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撮影 永田 ゆか

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静岡県静岡市生まれ。 1997年から長久手市にあるフォトスタジオで11年間務める。 2008年フリーランスとして豊田市へ住まいを移す。 “貴方のおかげで私が...

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