転職して林業7年目で抜擢!親方から会社を引き継ぐ澤田さんの覚悟とこれからの挑戦

「海に夢中だった僕が山仕事をしているなんて、全く想像していませんでした」
悩んだ末に飛び込んだ林業の世界で、事業継承者として大抜擢。
一見すると輝かしい栄光ストーリーだが、家族や仲間に支えられ続けたドラマがあった。
そしてその先に描く未来は。澤田さんに話を伺った。
ダイビングに夢中の学生時代
国有林の現場に向かい車が左右に大きく揺れ進む中、意外にも海の話題から始まる。
神奈川県出身の澤田さんは、自然が大好き。静岡の大学へ進学し、海洋生物学を専攻していた。
学生時代は、スキューバダイビングのインストラクターをし、海一色の生活。
「学生時代、静岡の漁師さんは年に一回、伊豆山に入って植林してるって聞きました。海は山と繋がっていて、山がキレイになると、海が豊かになっていくのは知っていたけど、僕は海がいい、とその時は思っていたんです。だからまさか、自分が山仕事をしているなんて想像していなかったですね」と笑う。
海とは真逆の森で仕事をする、ある理由があった。
もう、潜れない…結婚、出産、そして移住
インストラクターは接客も楽しく、順調に思えたある日、病気が発覚。
海に潜ることが身体的に難しくなってしまう。
将来インストラクターとしての道も考えていた矢先。
当時夢を断念した気持ちは、一言では言い表せないことだと想像出来る。
「当時は辛かったですよ。でも仕方がないと海は諦めました。自然の中にいたいな、とは思いながら、特にやりたいこともない。とりあえずお金を稼ごうと、愛知の自動車工場で働き始めました」
そこで奥さんと出会い、トントン拍子に結婚。
二人で「どこに住もうか?」と話す中で、どうしても自然の中で暮らしたい気持ちがあった。
「田舎に住みたい」と伝えると、奥さんも同意。
仕事を続けながら住める土地と家を探し、巡り会ったのが豊田の一番北の外れ。
それが、小原地区だった。
自然の中で生きる面白さ
結果Iターンという形で移住した、縁もゆかりもない小原地区。
そこでの暮らしが人生に彩りを添えていった。
澤田さん家族は子どももいたため、親同士の繋がりもでき、消防団も、めんどくさいけど…と入ってみたことで、グッと距離が縮まった。
仲間の輪が広がることで、田んぼ、花火、キャンプ、小屋作りと、充実した時間を共有出来るようになっていった。
奥さんも子どもも、地域にあたたかく迎え入れられ、暮らしを楽しんでいた。
そんな時、新たな転機が訪れる。
「近所の人に、「裏山に木切りに行くぞ」と声をかけてもらったんです。チェンソーないけどいいのかな、と思いながら行ったらすごい面白くて!」
これが、森仕事の最初のきっかけだった。
「小原地区に恩返ししよう」で踏み出した一歩
休日が充実していく一方で、悩み続けていたのは年々億劫になってきていた夜勤勤務。
どうせ辞めるならやりたいことやりたい、という気持ちと、転職するなら森の中なんじゃないかという想いが芽生えてきた。
転職が厳しくなる40歳までになんとかしたいと、森の仕事ガイダンスに参加した。
しかし現実は厳しかった。
「家のローンもあって、とても家族を養えるように思えなかった。せっかく来たしと他のブースを見て回るうち、親方に出会いました」
森といえば森林組合というイメージで、民間企業があるとは思っていなかった。
家族手当、住宅手当も個人の相談に乗るよ、という待遇も去ることながら、親方の懐の深い人柄が印象的だった。
なかなか踏み出せずにいたが、小原地区での生活を振り返り、夫婦で「この技術と知識を持って周囲に恩返しできるならやりたいね」という話に。これが決め手になった。
2年越しで親方に連絡をし、無事入社。
「なんとか稼いで、早く一人前になれるよう頑張ろう」と腹を決めた。
親方、奥さん、仲間…周囲の支えで今がある
澤田さんは、現在入社7年目。
株式会社緑豊は、親方と従業員6人の総勢7名。
年齢もキャリアも個性豊かなメンバーで、毎日大体2現場を稼働している。経理事務だけは親方の奥さんが担当するが、親方も現場に出るし、職員と現場従業員で業務を分けることはない。
現場への下見、電話対応、依頼の聞き取り、入札受け取り、見積もり、測量、山主との交渉…仕事は多岐にわたる。今でこそ現場を仕切る澤田さんも、最初はもちろん苦労したそうだ。
「とにかく、ケガが怖かったですね」
実際入院や手術もした。
また仕事自体、見て覚える、という職人の世界。機械操作も、親方からの無線で指示を受けながら手探りで覚え、先輩を盗み見てなんとか身に付けていった。
さらに住宅ローンを2ヶ月ほど滞納し、家計もピンチに。勇気を出して親方に相談、交渉の末、パソコンでの入力業務を引き受けた。家では奥さんにも手伝ってもらい、支えてもらって切り抜けてきたそうだ。
「やりたいことのための苦労は覚悟の上で飛び込んだ世界です。でも結果みんなに支えていただいて、この仕事ができている。本当に感謝しかないです」
澤田さん(左)と親方(右)
「今ある会社を、運営してみないか?」
入社からお世話になった親方は、今年で60歳。
そろそろ第一線から退きたい気持ちもありつつ、30年続けた会社を畳んでしまうのも惜しい。
今後現場を引っ張っていける人材が必要となった。何人かいる先輩は、一従業員を希望している。
そうして白羽の矢が立ったのが、澤田さんだった。
「親方から、「今ある会社を、運営してみないか」というお話をいただいて。やらせていただけるならと思いました」
自分で計画を立てて、こなしていくのが好きだという澤田さん。明るい語り口の中に、静かに決意の炎が宿っている。
「自分がやりたいからやっているんだっていう方が、面白いですよね」
皆が仕事をしやすい経営者になりたい
事業継承を控えた澤田さんに、これからの夢を伺った。
「今後は経営を勉強して、いい経営者になるのが目標です。僕は親方みたいに背中を見せていける人間じゃない。その代わり、みんなが仕事をしやすい経営はできると思っています」
従業員一人一人の生活も大切にしつつ、話す時間も取りたい、ここで働きたい!と人が集まってくる会社にしたい、と夢は続く。
今年入社した期待の新人は女性で、重機を活用すれば体力差なく働ける実感がある。
得意と苦手を生かした仕事の作り方で、働きやすさも整えたい意向だ。
他にも、山や木の価値が少しずつ良くなるような活動や、海外で日本のヒノキが注目されている情報など、広くアンテナも立てたいとチャレンジ精神旺盛だ。
「僕はひとが好きなんです。何やるかより、誰とやるかって、すごく大事だと思っていて。この人の仕事がしたいと皆がそれぞれ思い合えるようなチームにしたい」
そして仕事も、林業の未来をイメージして携わっていきたいとのこと。
「林業は、山自体の施業管理だと思うんです。今ある木だけでなく、将来の森も考えてプランを立てる。単発じゃなく、10年くらいで山が見ていけると面白いですよね」
妄想は明るいですよね、と少々照れながらも、夢を現実にしていくバイタリティを感じる。
日々仕事の中で面白いと楽しむ気持ちと仲間を大切にし、林業に向き合う姿。
株式会社緑豊と澤田さんの挑戦は、今始まったばかりだ。
(株)緑豊(愛知県豊田市和合町田螺池305番地)へのお問合せは、代表の天野昭浩さん(09016288401)へ!
佐治真紀・白井美里
520 views佐治真紀(さじ・まき)/インタビュー 1969年生まれ。生まれも育ちも名古屋という生粋の尾張っ子。新たな価値観を見出すべく東三河に足しげく通う「あいちの山...
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