91歳でも現役!「五平餅を焼く」生きがいを仲間と作り上げた24年間のストーリー

インタビュー

「人生100年時代」が流行語大賞にノミネートされたのは2017年。2020年の平均寿命は女性87.74歳、男性81.64歳で、戦後からずっとのびている。政府は2017年に「人生100年時代構想会議」を設置。企業には2021年から70歳までの雇用が求められるようになった。

そんな「人生100年時代」が到来する20年以上も前に、定年後のなりわいを自らつくりあげた女性たちがいる。

 

松平地区大内町にある「滝川ふれあい工房」。薬草入り五平餅が名物だ。代表の平松トヨ子さんは91歳。今も五平餅を焼き続けている。

取材で訪れたときは、7月の猛暑のなか。
女性3人が手際よく五平餅の下ごしらえをしていた。クーラーがなく、扇風機だけがまわる厨房だが、近くには滝川が流れていて、涼しげに感じる。

柴田カギ子さん(85歳)のトラックは、ミッションで動かす。街なかへ五平餅を運ぶときには欠かせない。自宅は集落のもっとも頂上にある。ガードレールのない、片側が崖の細い道をおりて、谷あり急坂ありの里山をぬけて、工房へとむかう。

荷台の青いシートが目印で、カタカタカタと運転音がきこえてくると、地元のカラスが騒ぎだす。「このトラックに食べものを積んでいるはず」とカラスはわかっているようで追いかけてくる。「今日はなぁんもないよ」 とカギ子さんはつぶやいた。

「この前、免許証を更新したばぁっか。毎日運転しないかんからね」

 

歩くのはすこし難儀しているので、トラックはカギ子さんの足そのもの。昨年は白内障の手術をしたが、とても免許証を返納するのは考えられない。

 

松平トンネルをぬけると

 

松平地区中心部は様変わりしている。2022年4月に開館した豊田市松平体育館(通称松平ホワイトヒルズ)が巴川沿いに、ひときわ目立つ。メインルートの国道301号線はバイパス工事が行われており、松平トンネルも開通した。

とはいえ、下山方面へ松平トンネルをぬけた先の里山の景色は変わらない。しばらく走行すると滝川ふれあい工房がみえてくる。一軒家の立て看板が目印だ。

工房には川床のテラスがある。自分たちでコンクリートを塗って建てた自慢のテラスだ。建物付近は国道301号線のバイパス工事が続いており、テラスから紅葉と四季桜を楽しむのは、しばらくお預けだ。

 

 

「定年して何もしないのは耐えられない」

 

滝川ふれあい工房は1998年に開業したが、始まりはその3年前にさかのぼる。トヨ子さんは、20歳で結婚。営んでいたガラ紡績(綿から糸を紡ぐ機械)の操業を40歳でやめてからは、JAが経営する農村工家事業所でミシン作業をしていた。60歳で定年を迎えたが、悶々としていた。体はとても元気だったのだ。

そんな気持ちにこたえるかのように、「産直広場をやってみないか」と声がかかった。愛知県が1995年(平成7年)に実施した農村高齢者活動促進事業のモデル地域に松平地区を指定。トヨ子さん、気持ちが高ぶる。  

「60歳でも体はしっかり動いていたから、そのまま何もしないのは耐えられなかったよ。直売所づくりにのめり込んでいったの」

トヨ子さんは民謡なかまのカギ子さんに声をかけた。

カギ子さんは地元の土木会社で働いていた。定年は当時57歳。家では酪農も営んでいたが、トヨ子さんの話に意気投合。同じ年代の町内の人たちに声をかける。会社には内緒で進めていた。

集まったのは地元の仲間13人。平均年齢63歳で準備をはじめた。

 

直売所の建設は手作りだった。当時の区長が大工だったために、全面的な協力が得られた。寄付された山林の間伐材を切り出し、皮を剥き、古いガラス戸を集めた。一日も早く直売を始めたいという一心だった。1995年11月1日にオープンする。

当初から運営は手探り。営業日は水・日曜日。都合のつく会員全員で店番をしていたが、時にはお客さんよりも人数が多かった。そんなときはお客さんも入りにくいと知る。店番の人数の調整をしつつ、日当がわずかでも支払えるようになった。

 

アマドコロ入りの五平餅をはじめよう

 

しかし、直売所だけでは限界がくると、じきに思い知る。寒いときには野菜が減り、売り上げが落ちる。同じ季節には同じような野菜が並び、売れ残りを出してしまう。野菜の売り上げだけでは収入がしれている。次の世代に引き継ぐにはあまりにも夢がない。

当時、催しもので五平餅がふるまわれるのをみてピンときた。

「直売所の隣に店舗を建てて、五平餅をはじめよう」と。

ただの五平餅では面白くない。各地へおもむいて食べ歩いた。「当時は、1回に2本は食べたね」とカギ子さん。

ヒントは、身近にあった。JAの薬草部会で勉強を重ねていたが、そこでアマドコロという山野草を知る。

 

アマドコロは、ツリガネ型の白い花を咲かせ、その根っこはショウガのような形をしている。山芋の種類「トコロ」に似ており、擦ると甘くなるので「アマドコロ」と名前がついている。根をミキサーにかけるとトロトロになる。

「薬草入りの五平餅ができないだろうか」と、味噌や調味料をまぜて何度もためした。ようやく「これだ」という味がみつかる。

「味噌と調味料の配合はどのようにするのですか?」と聞くと、
「それが、みそ」とカギさんがいたずらっぽく笑った。秘伝の配合だ。

お店でふるまうお茶も、エビス草という薬草を使うことにした。

「薬草入り」という売りは決まった。

 

建設費200万円予定が700万、それでも

 

難航したのは、飲食スペースの建設だった。1997年(平成9年)に具体的な相談を始めたが、思うようにことが運ばない。立地の土地は都市計画法の市街化調整区域。規制が厳しく簡単には許可がおりない。西三河農業普及センター、JAや市役所に何度も足を運ぶ。

やっと建築が進められる回答が得られても、一難去ってまた一難。今度は自然公園法の規制地域だとわかる。

仲間たちと励ましあい、愛知県庁へ相談。自然公園地域内に住んでいる人が住宅仕様の店舗を建てるのならば許可されることがわかった。

 

たまたま公園内に住んでいる仲間がいた。住宅仕様の店舗へと設計を作り直した。

直売所の販売手数料を積み立て、日当を低く抑えて貯金をしてきた予算は200万円。しかし、設計内容を変えたために700万円もかかる。それでも情熱がまさっていた。1998年12月1日、盛大に開所式を迎えた。

認められて励みになった。楽しいから続けられた 

 

滝川ふれあい工房は、水・土・日が営業日。営業時間は朝8時から夕方4時まで。1回あたり200本を仕込み、売り切れごめんとしている。

火曜日と土曜日はJA本店、毎月第2・3日曜日はJA松平グリーンセンター、毎月8日には拳母神社で開催される八日市に出店している。「おまんたちの顔がみたい」というなじみのお客さんがだんだん増えていった。

自治区のお祭り、学校はじめ、各イベントに呼ばれるようになり、そのときは300~400本を用意する。これが経営していくうえでとても心強いものになった。五平餅だけではなく、お餅や赤飯の注文にも応じてきた。

じきに借入金700万円を返すことができた。

 

そんな営業スタイルを続けて24年。ここまで続けられたのはどうしてだろう?

 

「『金にもならんことをなんで大変な思いをしてまでやるんだ』『すぐに続けられなくなる』っていわれたんだわ。それが、『なにくそ』という思いになったね」

 

当初、心ない言葉や、やっかみの感情が聞かれたが、カギ子さんはそれが逆にバネになったそうだ。自らが立ち上げたなりわいだからこそ、思い入れは強くなっていた。

 

2000年には農山漁村女性・生活活動支援協会から協会賞を受賞する。「自分たちの活動が認められた」とトヨ子さん。農林水産省で行われた授賞式に出席するために東京まで出かけた。今でも誇りだ。

 

高齢のためにリタイアした人もいるが、新たに工房に加わった仲間もいる。宇野香代子さん(72歳)はそのひとりだ。

「そんなに五平餅をやりたいと思ったわけではなかったけどね(笑)。会社 定年してから、同じ町内のトヨちゃんにさそわれてね。楽しいから10年続いちゃった」

 

五平餅の値段は開店当時から200円のままだ。なじみのお客さんからは、「おまんたち、値段を上げんのか」といわれるが、上げない理由がある。ひとつは計算がめんどうなこと。アマドコロは町内の畑で栽培し、米は地元産ミネアサヒだ。コストがかからないことも幸いしている。

もうひとつ大事な理由がある。

「とにかくお客さんに喜んでもらいたいんだわ」

それが3人の共通の思いだ。

 

五平餅の概念が覆された

 

五平餅の仕込みは、販売日の前日か当日の朝に行う。炊いたミネアサヒを適量にわけて型につめていく。ホセと呼ばれる棒をならべて形を整える。3人でリズムよく作業をする。

おいしく焼くコツがある。お米をお焦げがつくまで、両面を焼きあげる。米粒がふっくらとしてくる。お味噌をたっぶり塗って、もう一度焼く。味噌に焦げ目がつくと、香ばしい。

冷凍はしない。「つくりたて、焼きたてを食べてもらいたい」からだ。ここにも、お客さんへのサービス精神がこめられている。

そんな五平餅ファンのひとりが、松平観光協会につとめる伊藤大佳さんだ 

「五平餅は実は好きじゃなかったんです(笑)。10年前に観光協会で働きはじめたときに、『まぁ、食べておこうかな』というぐらいの気持ちで口にしたら、びっくり。甘ったるくなかった。私の五平餅の概念がくつがえされました。大きさも手頃。後味もよい。薬草入りというのが、とても健康的で、罪悪感なしで食べられるのもよいですね。」

甥っ子に「五平餅を食べにいこう」と誘うと、必ずついて 口に ひげをつける姿がほほえましいという。

 

元気に働く姿が、地元に勇気を与える

 

工房のドアに、歌詞が飾られている。地元の詩吟の先生が寄せてくれた。

滝川五平餅

おいでん おいでん             
よっといでん                 
徳川さんのおひざもと           
いろいろ名物あるけれど          
滝川ふれあい五平餅            
一口食べたら母の味            
あなたといっしょに食べる味 

おいでん おいでん
よっといでん
小川のせせらぎ聞きながら
ふれあい仲間のおもてなし
お味噌のにおいに誘われて
二口食べたらふるさとの
みやげにしても なおよかろう

あたたかい唄だ。

歌詞に「徳川さんのおひざもと」とあるように、工房のある松平地区は歴史のある里山だ。名古屋、岡崎、信州、新城と各方面へのアクセスがしやすく、主要な高速道路のジャンクションもすぐ近くにある。

しかし、他の山村地域と同じような課題を抱えている。高齢者が多くなり、児童が少ない。存続が課題となっている小学校もある。

過疎の課題を解決するために、行政としてもUターンやIターンを促進している。定住委員会も立ち上がった。

くらら農園の安藤さち子さんは、定住委員のひとり。とうもろこしと春の七草の農家だ。毎年夏にはとうもろこし狩りを開催しており、食事処として滝川ふれあい工房を紹介している。

 

「とうもろこし狩りだけだと物足りないので、工房のそばを流れる滝川で遊び、五平餅とかき氷を食べるコースを紹介しています。私のおすすめは、五平餅につく漬物です」

観光協会の伊藤さんも、滝川ふれあい工房が松平地区の魅力をひきたてていると話す。

「工房のみなさんの年齢を聞いて、驚いたんです。自分がその年齢になったら、そこまで働けるのだろうかと。行くといつもうれしそうに話しかけてくれて、こちらが元気になります。五平餅はおいしいし、居心地がいいし、ふらっと立ち寄れます。工房のお母さんたちの元気は、地元を元気にしています」

 地元住民の努力が少しずつ実り、松平地区で農業を営んだり、里山らしいなりわいをするために移住したりする若者世代が、少しずつ増えている。

これからの山村づくりでは、自然環境をいかした暮らし、なりわい作り、都市住民と交流しながら進めていくことがより重要になる。2022年1月には豊田市で山村条例が施行され、それらが明文化された。滝川ふれあい工房はすでにそれらを満たしている。松平地区にとって、やはりなくてはならない存在だ。

 

イベント出店を減らしたのは コロナだけはない

 

とはいえ、滝川ふれあい工房も、コロナの影響は避けられなかった。川床テラスの食事処は再開が見込めない。地元の行事は大きく減り、イベントへの出店はほとんどなくなった。

 

ただ、イベントへの出店を減らしたのは、コロナだけが理由ではない。

五平餅は豊田をはじめ、この地方のソウルフードだ。「とよた五平餅学会」まであり、各イベントで五平餅を扱う店が増えている。五平餅だけでイベント販売することに、新たな苦労が生まれているという。

 

さらに大きいのは、高齢による体力の問題だ。当初から運営していた仲間の半分は亡くなった。今は70~90代の3人が中心となり、お手伝いを含めて交代して運営している。仲間を増やしたいが、誰でもいいというわけではない。財政的には決して潤沢ではないし、商売の向き不向きもある。チームワークが大事なので、言いたいことをいえる関係も必要だ。

後継については、悩みのひとつでもある。

 

ふれあい工房の女性たちのように

 

しかし、希望はある。名古屋から大内町に移住してきた野々山美香さんは、滝川ふれあい工房のカギ子さんが目標と話す。

 

「滝川ふれあい工房で 働くお母さんたちの元気な姿を見ると、うれしくなります。年齢に関係なく地元で働けるなんて、自分もそうありたい。私も自分で育てた野菜を販売してみたいし、みんなが集まる場をつくりたい。ふれあい工房の女性たちのような生き方を、私もしたいです」

 

人生100年時代といわれるずっと前から、なりわいづくりを先駆けていた滝川ふれあい工房。そして、山村の価値に気づいた人たちが、松平地区に集まりつつある。次の時代への礎をつくった、ふれあい工房の女性たちは、憧れをも抱かれるようになっている。

アマドコロを使った五平餅の味噌は、もはや松平地区の里山の味だ。そのかけがえない美味しさに気づいた人たちに、きっとこの味はつながっていく。

おぎゅうびと

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働くものの立場から、暮らしや労働、人とのつながり、地域づくりについて向き合ってきた。現在は、山村地域のなりわい、自給やエネルギー問題に関心をもつ。自らも畑を...

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撮影 永田 ゆか

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静岡県静岡市生まれ。 1997年から長久手市にあるフォトスタジオで11年間務める。 2008年フリーランスとして豊田市へ住まいを移す。 “貴方のおかげで私が...

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