関係人口としての僕【田舎暮らしの現実#4】

コラム

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僕は2019年春に豊田市の中山間地域、いわゆる田舎に移住しました。
移住したことで“定住人口”となったわけですが、田舎との関わり方は“定住”だけではありません。
今回の投稿では、近年注目されている“関係人口”という田舎との関わり方と、僕が関わる田舎について書いてみました。

 

田舎との関わり方

 

田舎との関わり方は、大きく分けると3つに分類されます。

田舎に観光に来るのが“交流人口”、田舎に移住するのが“定住人口”、そして、“交流人口”でもなく“定住人口”でもない、地域や地域の人々と多様な関わり方をする“関係人口”の3つです。

この“関係人口”という概念が今、地域づくりの新しい担い手として期待されています。
どれぐらい期待されているかと言うと、総務省が“『関係人口』ポータルサイト”というサイトを用意しその創出に躍起になっているぐらい、つまりもう国策レベルで期待されています。

 

 

関係人口

 

田舎は、都市部への人口の流出や少子高齢化の進行から、児童生徒数の減少による学校の統廃合、空き家や耕作放棄地の増加、地域のお祭りや道路等の草刈りといった集落機能の維持が困難な状況になりつつあるなど、様々な課題を抱えています。

これらの課題を解決するもっともベストな方法は、定住人口を増やすことです。

定住人口が増加し、地域に子どもが増えれば、児童生徒数が増えるので学校の統廃合が回避できます。

小学校が廃校になると、その地域からは人が減る。だから小学校の廃校は何としてでも回避しなければならない。

僕が関係人口として関わる地域の方が仰っていた、とても印象的な言葉です。

我が家が暮らす地域は、豊田市内の中山間地域でもっとも定住促進活動が活発であり、その結果が出ている地域です。
地域にある小学校は、近年児童生徒数が右肩上がりで増えています。
田舎の小学校で、少子高齢化の真っただ中に児童生徒数が増えるというのは、定住促進が実を結んだ結果です。

空き家に定住者が入り、その定住者が耕作放棄地を復活させ、人手が増えることによってお祭りもできるし草刈りの負担も分散される……我が家がある集落が正にそれです。

我が家がある集落は、集落世帯の1/3がIターン世帯、つまり移住者世帯です。
逆を返せば、集落の1/3が空き家だったということです。
その空き家にIターン世帯が入り、そのIターン世帯が続々と耕作放棄地を復活させています。

 

 

我が家も、10年超耕作放棄されていた田を、今年復活させようとしています。このように、中山間地域が抱える課題は、定住人口を増やすことで解決することができます。

が、そんな簡単に定住人口が増えるのなら、誰も困らないわけです。

様々な事情でその地域に“定住”することはできない。
でも、その地域の事が気になるし、できる範囲でその地域の活性化に貢献したい。

このような意識で、その地域と関わる人が“関係人口”です。
その地域を想う心は、定住できていないだけで、そこに暮らす人たちと同じ。
田舎が抱える課題を解決する一助になる存在、それが“関係人口”です。

僕が“関係人口”として関わる田舎は、我が家が今の家に定住するまでに出会った田舎です。
定住には至らなかったけど、この地域と出会うことがなければ、僕は今の家に定住はしていないでしょう。
それぐらい、僕にとって大きな影響のあった、想い入れのある地域です。

 

僕が関わる田舎 ~ 関係人口の具体例

豊田市稲武地区 ~ INABU BASE PROJECT

 

僕にとってINABU BASE PROJECTは、僕が田舎と関わるきっかけとなった、とても大きな存在です。

豊田市稲武地区は豊田市の北東に位置し、長野県・岐阜県との県境があります。
人口は約2,200人高齢化率(65歳以上の人口割合)は51%、高齢化率50%越えで限界集落になりますので、地区平均で見ても限界集落です。

INABU BASE PROJECTは、“愛知のチベット「稲武」 そこで始まる働き方革命”を旗印に、稲武に本社がある自動車用シートカバーメーカー“トヨタケ工業”が中心となって設立された地域の新規定住者受け入れを支援する団体“OEPN INABU実行委員会”が展開しているプロジェクトです。

このプロジェクトは、従業員約100人を抱えるトヨタケ工業が、10年後にはその半数が60歳以上になってしまうことから、従業員の若返りを図るために新卒採用を10年ぶりに再開することがきっかけで始まりました。

前述の通り、稲武は高齢化率が50%を超えているため、地元での新卒採用は難しい状況にあります。
そのため、働きやすさや中山間部の魅力をPRすることで、地区外から若い人材を呼び込もうとしているわけです。

INABU BASE PROJECTですすめる働き方改革は、具体的には、平日週3日は事業所で働き、土日は稲武でトレッキング、マウンテンバイク等の山岳ツアーガイド業をするなどして、残りの平日を休むといったものです。

僕は2017年秋から、“トレッキング、マウンテンバイク等の山岳ツアーガイド業”を行うためのトレイル(コース)の開拓メンバーとして、このINABU BASE PROJECTに加わりました。
ええ、僕はトヨタケ工業には就職していません。

僕はトレイルの開拓メンバーとして加わっただけで、トヨタケ工業に入社しなければこのプロジェクトに携われないわけではないのです。
つまり、僕はINABU BASE PROJECTを介して、稲武の関係人口となったわけです。

 

当時の僕は、自分の趣味であるマウンテンバイクで胸を張って走れるコースが少ないことを感じていました。
詳細はまた別の機会に書くことにしますが、日本のマウンテンバイクシーンというのは、とにかく胸を張って走れる場所が少ないという課題を抱えているのです。
そんな時に、そのコースを自分の手で作れるなんて機会を目にしたわけですから、そこに飛びつかない理由はありません。

それから今日に至るまで、INABU BASE PROJECTでは様々な経験をさせてもらいました。
また、そこで出会った志を同じくする仲間たちがいなければ、今の僕はないと言っても過言ではありません。

僕のINABU BASE PROJECTにおける活動のモチベーションは、“自分たちが走る道を自分たちで作る”というのが最初の動機ではありますが、徐々に“自分たちがやっていることは、定住人口増加に繋げるための種まき”に変わっていきました。

その活動の成果は、早々に見えることになります。

INABU BASE PROJECTがきっかけとなり、トヨタケ工業は2020年度までに中途3人、新卒2人を採用することに成功しました。5人全員が、まずは関係人口として稲武に関わり始め、トヨタケ工業への入社をきっかけに稲武の定住人口となったわけです。そんな5人のうちの1人、2019年度に新卒としてトヨタケ工業に入社した遠藤颯くんのインタビューが、“とよたでつながるローカルメディア縁側”に掲載されています。

関係人口主体で始まったINABU BASE PROJECTは、プロジェクトをきっかけに定住人口が増加したことで、現在は稲武に定住したメンバーを中心とした言わば第2ステージとなる活動がなされています。

 

稲武には、我が家が愛する家具と暮らし+カフェヒトトキ〜人と木〜もあります。

そんなヒトトキが、山を楽しむ様々なコンテンツと、まちやどとしての機能を持たせた宿泊サービス「hi-bi」を始めるそうです。

 

築100年を超える古民家をリノベーションして行うこのサービス、安全祈願祭を終えて着工しているとのことで、稲武のこれからがかなり面白いことになりそうです。

 

豊田市栃本町 ~ おいでんトレイル足助栃本

 

豊田市栃本町は、足助地区にある13世帯の集落です。
僕の稲武への関わり方が“地区”であるのに対し、栃本町への関わり方は“集落”です。
僕の栃本町への想いは非常に強く、栃本町で暮らす人たちに対しては“自分の親戚”ぐらいの親近感を抱いています。

この栃本町で、関係人口による地域活性化を目指し、“MTBを人と地域を繋ぐハブに”をキャッチコピーに活動しているのが、僕が代表を務める“おいでんトレイル足助栃本”です。

INABU BASE PROJECTに参加したことで、自分の手でトレイルを作ることに目覚めた僕が、同じくINABU BASE PROJECTに参加していた友人に声をかけ、2018年冬にスタートしたプロジェクトです。

僕と栃本町の出会いは2017年秋。
栃本町が含まれる冷田小学校区で毎年開催される“ふれあいフェスタ冷田”においでん・さんそんセンター主催のとよたいなか暮らし博覧会を介して参加したことでした。
ちなみに、INABU BASE PROJECTとの出会いも、きっかけはとよたいなか暮らし博覧会だったので、僕の現在にとてつもなく大きな影響をもたらしたイベントです。

2018年3月に、栃本町自治会から桜の植樹イベント“桜の森づくり”のお知らせをもらい、そこに家族で参加させてもらいました。

 

この“桜の森づくり”自体も関係人口を創出するためのイベントで、桜を植樹するだけでなく、年に2回の下草刈りなどを通して、継続的に地域と関わり、桜の成長とともに地域との関係も育まれていくという、関係人口創出のお手本のようなイベントです。
つまり、栃本町自体が関係人口創出に積極的な集落なのです。

桜の植樹より4ヶ月経った2018年7月、桜を植樹した一帯の下草刈りイベントがありました。

 

 

その際に、栃本町自治会より「何か栃本でやりたいことはないか」と聞かれ、「もしMTBで走ってよい山道があったら走らせていただきたい」とお願いしたところ「走れる道がある」ということで、里山を案内していただける運びになりました。

その後、ルート探索等を行い、2018年12月に、“おいでんトレイル足助栃本”が発足し、現在に至るという流れです。

 

おいでんトレイル足助栃本では、栃本町地内の里山にMTBで走行できるコースを整備させてもらう代わりに、栃本町で行われる環境美化活動(県道沿いの草刈り)などのお手伝いやお祭りへの参加をさせてもらっています。

 

また、整備させてもらったコースの走行会を開催することで、栃本町への来訪者を増やし、栃本町のファンを増やす = 栃本町の関係人口を創出するお手伝いもさせてもらっています。

 

今年は、春先に原木しいたけ栽培も、栃本町で有志のご指導の下で行わせてもらいました。

 

発足から1年半ほどが経ち、発足当初よりも仲間も増え、栃本町の関係人口創出に僅かながらも寄与できていることが誇りであると同時に、今後も引き続き栃本町の関係人口創出に尽力していきたいと思っています。

 

 

定住に至らなかった理由

 

ここまで愛する稲武地区と栃本町に僕が定住しなかった理由は、どちらも条件に合う空き家がなかったからです。
稲武地区に関しては、家族と一緒に稲武地区の公営住宅などを見に行った時の天気が“雪の後”という、寒がりなうちの妻を連れていくには最悪に近いコンディションだったこともありますが……
栃本町はそもそも空き家がありませんでした。

空き家は一期一会、先輩定住者から「ビビビっと来る物件が出たら移住どき」という話は聞いていましたが、本当にそういう物件ってあるんです。その物件が、我が家の場合は今の家だったということです。

 

定住に与えた影響

 

僕は定住前から稲武地区と栃本町の関係人口だったわけですが、僕が定住した旭地区では関係人口と言える関わり方をしたことはありませんでした。

では、なぜ僕が稲武地区と栃本町の関係人口だったことが、旭地区への定住に影響をもたらしたかと言うと、僕がそこでの関わりで出会った地域の人がとても素敵だったからです。

地域と関わる前、僕は田舎に対して“閉鎖的なのではないか”という偏見の目を持っていました。
もちろん、そういう地域があったり、そういう人がいたりするのかもしれません。
しかし、少なくとも僕は、稲武地区と栃本町に関わることで、その偏見が誤りであったことに気づかされました
だから僕は、何の関わりもなかった集落に、僕はここで生活していけると、飛び込んでいくことができました。

また、我が家は元々妻の方が移住に積極的で、僕は街暮らしでもいいじゃんというスタンスでした。
しかし、僕が趣味であったMTBに関わる活動をするようになり、それによって「田舎暮らしもいいじゃん」と意識が変わりました。

 

定住しないという選択肢

 

田舎との関わり方において、その地域にとってベストなのは定住かもしれませんが、関係人口として関わり続けるというのもベターな選択肢です。
もし、あなたに気になる地域があるのであれば、まずは関係人口として関われる方法を探してみると良いでしょう。

もっとも、気になる地域がある = 既にその地域と何らかの関わりがある = その地域の関係人口ですから、あなたは既にその地域の関係人口となっている可能性もあります。
その場合、引き続きその地域と今の関係性を継続していくことが、その地域にとってとても大きな力となります。

大切なのは、地域に自分の想いを押し付けすぎないことです。
地域のことを想い、適切な距離感で、地域が求める力を提供することが、関係人口としての上手な関わり方だと思います。

 

 

フカヤ ノブキ

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2019年春より豊田市の中山間地域に古民家をリノベーションし定住。自転車とパスタとパンクロックをこよなく愛し、会社員、フリーランスデザイナー/ディレクター、...

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