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手放して全部葉が落ちきると、新しい芽が生えてくる【いなかとまちの交換日記withコロナ#1】

コラム

「いなかとまちの交換日記withコロナ」では、豊田市のいなか、まち、それぞれに住む方にペアになってもらい、

コロナウィルスと共にある日々のことについて、課題、新たな気付き、心の動きなどを書き綴ってもらっています。

詳しくはこちら


今日の書き手

渡辺陽子(わたなべ・ようこ)高橋地区にある浄土真宗守綱寺若坊守。高3、高1、中1、3児の子育てがそろそろ一段落。15年前、2児の子育ての最中、「お寺を若い人たちにも気軽に足を運んでもらえる場に」と、「守綱寺絵本読み聞かせの会」をスタート。同時に、若い世代の方たちに、お念仏の教えに触れてもらう機会を・・・と、毎月若院と「守綱寺カレンダー」発行。その後、育児サークル「寺っ子クラブ」、親子で歌える「守綱寺ファミリー合唱団」など、子育て中のママたちの居場所作りを模索。子育てが一段落した仲間たちと、保存食の会、着物部、お茶&お花のお稽古など、活動の幅を広げて今に至る。


長坂さんからの交換日記はこちら↓

 

真理ちゃん

 

コロナ騒ぎもようやく落ち着いてきたね。

今日から子どもたちは、分散登校でそれぞれの学校へ行きました。高3長男は午前登校。高1次男は午後登校。中1長女は、隔日で男女別に登校するようです。そちらの3人のお子ちゃまたちは、普段と変わらず、境内でのびのび過ごしているみたいだね。休校とかまだまだ関係の無いお年頃だもんね。

子どもは目一杯遊ぶのがお仕事!お山のお寺の眩しい緑の中で、親戚の子どもちゃんと素敵な時間を過ごしている様子、目に浮かびます。自然の中で過ごすこんな素敵な時間をお友達と共有したいけれど、今は誘うのが良いのか悪いのか・・・。真理ちゃんの葛藤、分かります。私も日々葛藤があります。

こちらの方も、3月の永代経(春のお彼岸の法要)は普段通り勤めましたが、本堂の障子を開けて換気に気をつけたり、広間でのお食事のテーブルの配置や椅子の数など、「密」にならないように少し間隔を広めに取ったりと、色々気を配りました。自主的にお参りをお休みされる方も多かったように思います。4月の筍コンサートも中止することにしました。お招きしていた演奏家の方も、公演のキャンセルが続いて本当に大変そうでした。母も、お断りするのが本当に心苦しかったようです。

コンサートは、バザーやステージの準備など、お檀家さんのみならず、お寺で活動しているコーラスグループや合唱団、洋裁メンバーや地域の方など、様々な人たちの協力で開催しているイベントだったので、中止は断腸の思いでしたが、「寺部のお寺のイベントでクラスター発生!」なんてことになったら大変だから、今年は仕方が無かったのかなと思います。

お寺で毎月行っていた読み聞かせ会、育児サークル、お茶や着物やお花のお稽古、全部いったんストップしたので、私はびっくりするくらい暇になりました。こんなに予定がないのは初めてです。

     

 

朝起きて身支度をしたら、夕方までひたすら境内の草取りです。GWの頃までは、筍掘りのついでに竹藪の整備に燃えました。混み合った箇所から竹を間引き、中途半端に切られた竹は短く切りそろえ、裏の広場まで運んで燃やす。コロナでお仕事がちょっと暇になったお友達のパパも何人か駆けつけてくれて、一日力仕事で良い汗をかきました。そちらが一段落した今週は、境内のあちこち草取りです。春も落ち葉があり、落ち葉を掃くと下から草が生えているのが見え、草を抜き、抜けたら別の場所に移動して掃き掃除&草取り・・・と1周回って戻ってくると、また次の草が生えてきていて、(また一から同じ作業の繰り返し~!キーッ!)です(笑)。

抜いても抜いても草は生えるし、掃いても掃いても落ち葉は落ちるし、もう参りました!自然に勝とうなんて思っちゃいけないね。自然の一部を借りて人間が住まわせてもらっているんだね。穏やかな日の光を浴びて、木の葉を揺らす風の音を聞きながら草取りしていると、蜂の羽音が聞こえたり、見たこともない芋虫を発見したり、刈った後の草の匂いや土の匂いを感じ、五感が、体全体が自然を感じて、細胞全部が生き生きと輝きを増しているように感じます。日々、人間も自然の一部だな~と、実感として感じます。ハラハラと舞い落ちる落ち葉を見ると、なんだか全て握って離すものか!って頑張ってる自分が浅ましく思えてきます。そんなに頑張らなくても良いんじゃない?木は、手放して手放して、全部葉が落ちきると、新しい芽が生えてくる。コロナで失ったものも多いかもしれないけれど、本当に大切なものは残るから、一度握っていたものを手放してみるのも良いんじゃ無いかと思えてきます。

テレビのニュースもあまり見ない生活だけど、毎日土と草と向き合う日々は、コロナ騒ぎも全く無関係に過ぎてゆきます。マスクもほぼ付けないし、宅配の生活クラブで1週間分の食材をまとめて注文し、足りない食材を週に2~3回、近所の行きつけのスーパーに買いに出る他は、ほぼ境内の草取りをしていると、生活もそぎ落とされてシンプルになり、(ああ、これで良かったんだ)って気づきました。たまに出かけるショッピングも楽しいけれど、そんなに行かなくても大丈夫だったよ。図書館や美術館やコンサートホールが閉まってるのは寂しいけれど、そこで働く人たちや、企画や公演が中止になってしまった人たちはもっと悲しいはず。3密は避けても、会うべき人にはちゃんと会えて、そうして会う人たちは、(この人たちにコロナを貰っても仕方ないよね)って思えるような心許せる人だから、「お互い様」で心地よく過ごしていける。

自分が本当に大切にしたいものは何か。必要なものは何か。どうすると自分が心地よいのか。そんなことを、改めて再確認する良い機会だったのかもしれませんね。日々忙しく過ごしているうちに、深く物事を考えなくなってしまう。立ち止まるためにコロナ騒ぎがあったのかも。そんな風にも思えました。                          

また真理ちゃんに会えるのはいつかなぁ? 

2020年5月25日

陽子

 

縁側編集部

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