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コロナ禍でも、ものづくりを止めない!アラフォー取締役が語りあう、これからの見当の付け方

レポート

6月12日(金)、横山興業株式会社(本社:千石町)でカクテル用品ブランドBIRDY.を手がける横山哲也(よこやまてつや)さんが主催するオンライントーク「Makers Talk」をオンライン取材させていただきました。ゲストは、稲武地区で自動車のシートを製造するトヨタケ工業株式会社の取締役社長、横田幸史朗(よこたこうしろう)さんです。

 

豊田市といえば、世界に名だたる「ものづくり」のまち。読者の皆さんの中にも、ものづくりに関わる方がいるかもしれません。コロナの影響を受け、これからどんな時代になっていくのか。都市と山村の企業でどんな共通点や違いがあるのか。先の見えない時代にフレキシブルに対応するため、何を大切に日々過ごしていけばいいのか。ロングインタビューですが、そこかしこにヒントが散りばめられています。どうぞご覧ください!

 

 見当識を取り戻すためのMakers Talk

 

横山さん 本日は、Makers Talkというタイトルで、オンライントークを開催させていただきます。後ほど自己紹介をしますが、私は、豊田市で自動車部品製造をしている横山興業株式会社で、自社の技術を応用したオリジナルカクテル用品ブランドBIRDY.を展開しています。

 

ご承知のように、新型コロナウィルス感染拡大の影響で企業の経営・マネージメント環境が大きく変わり、今後の見当がつきにくい状況が続いています。

 

「見当」とは、医学用語の「見当識」ということばに由来し、自身が現在置かれている状況を把握し、理解する能力を意味しています。今は、その見当識を失っている状態ではないだろうか。そこで、ものづくりの業界では、コロナ禍の「以前」、「渦中」、「これから」について、何が起きているかを色んな業種の方にお聞きし、見当識を取り戻していくヒントを視聴者の方と一緒に得ていこうと、このオンライントークシリーズMakers Talkをスタートさせました。

 

プロローグでは、文筆家であり恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表の清田隆之さんに、

「見当識」について詳しく聞きました。第1回目は、家具製造業の株式会社桜屋代表取締役の秋田丈治さんをゲストに迎えました。

 

第2回目となる本日は、豊田市の基幹産業である自動車産業の部品製造業にフォーカスを当てます。ゲストは、稲武地区にあるトヨタケ工業株式会社(以下、トヨタケ工業)代表取締役の横田幸史朗さんです。また、今回はとよたでつながるローカルメディア縁側の編集長・きうらゆかさんにも入っていただき後半、取材していただきます。

 

横田さんをご紹介する前に、私の自己紹介を少しさせてもらいます。

1981年生まれ、東京の大学を卒業後、東京でウェブデザイナー時代を経て、家業を継ぎ、その加工技術を生かしたカクテル用品など、プロの方が店舗で使う道具を開発、製造するブランドを作りました。

 

本日のゲスト横田さんは、1975年生まれ名古屋市出身、東京の青山学院大学を卒業されています。トヨタケ工業は昭和39年に創業されてから、自動車のシートカバーの製造や、自社ブランドとして内装グッズの企画製造をしています。Inabu Base Projectなどの働き方改革もされています。

 

 

企業も世界も、
混沌の中にいる

 

横田さんにお話を伺う前に、MAKERS TALKのテーマ「コロナ禍におけるものづくりの見当識」の見当識について、もう少し詳しく見たいと思います。

 

図式にするとこういうことになります。

 

見当識が失われることを「失見当識状態」と言うんですが、簡単にいうと、「ここはどこ、私はだれ」の状態です。このコロナで、企業における見当識がぐちゃぐちゃになっている「失見当識状態」に陥っているんじゃないかなと感じています。

 

というのも、例年、3月決算の企業は、5月くらいに業績予測を発表するのですが、軒並み「どのようなことになるかわからない」ということで見送り。東海地方の上場企業でも、7割が見送り。企業だけではなくて、国も同様に、中国は今年の経済成長率の目標を立てられないような状態です。

 

今回取り上げるのが自動車部品製造業なので、自動車業界を取り巻く環境も見てみましょう。メディアでは『7割経済』というキーワードが出ています。自由に移動や経済活動ができない中では、なかなか9割経済は難しい。当面、7割経済をいかに続けていくかということになっています。この4月の登録車販売台数は、各社平均すると、前年比68.9%。まさしく7割経済くらいの状態になっている。7割経済がずっと続くのか、上向くのか、悪くなるのか、その見当がついていないので、見通しが立たない状態になっているのではないかなと。

 

自動車部品製造業は、恐ろしく裾野が広い世界です。トヨタケ工業のような内装部品の会社は、どのようなビジネスの環境・関係性の中で生きてきたのか。まずは、仕事を受注してから納入するまでの動きについて聞いていきたいと思います。

 

最初に、どういう経緯で創業されたかを教えていただけますか。

 

 

 

地域と共に歩んできたトヨタケ工業(株)

 

 横田さん すごく昭和な感じの部屋から、お送りしています(笑)これは壁紙ではなくて、社長室です。後ろに写真がありますが、会社は私の祖父が創業しました。

 

もともとは名古屋で、下着のアパレル企業をしていました。戦後不況が来たときに、祖父が50歳くらいだったと思いますが、自動車産業をこれからの成長産業として見込みました。当時、稲武町の町長だった古橋茂人さんという方と祖父はどこかでつながったようです。過疎化対策の一環としての工場誘致を受け、縫製の技術を使って車に産業転換するということで起こしたのが、トヨタケ工業です。

 

地域にとっては、仕事の提供インフラとして、会社にとっては、皆さんが働きに来てくれることで成り立つという関係性で、50年前にできた会社が今でも続いています。

 

横山さん あまり足を運んだことがないのですが、稲武地区は山の中にあるんですか?

横田さん 地図でいうと、愛知県の一番北東の出っ張った部分。20分北に行けば恵那市、20分東に行けば、長野県という位置にあります。標高が500メートル以上あるので、市街地からは5度以上気温が低いですね、確実に。最近夏が暑いですが、それでもエアコンのない家も多いですし、冬は寒い。緑豊かな日本の原風景のようなところです。

 

横山さん 何を作っていますか?

 

横田さん 車のシートカバーと呼ばれる部品です。車に乗るときに座るシートの表面にカバーが被さっていますよね。そのシートを切って縫っています。カッターナイフの大きいような機械で切るんですが、そのパーツを1枚1枚手作業で縫い合わせをして、シートカバーにしていきます。

 

1台分でおよそ300パーツほどある、かなり細かいパーツを縫い合わせていきます。2つのシートを縫い合わせるのに、ちょっとずれただけでもシワになります。皆さん車内を見てもらえばわかると思うんですけど、シートにシワになっているところはほとんどありません。ウレタンパットにそって、ボディースーツのようにピタッと合うように、基本的には完璧に作らないといけないのが難しいところです。

 

 

横山さん 良品率ってどれくらいですか?

 

横田さん 不良は、基本的にはあってはいけないですが、どこで取り除くかによりますね。お客さんのところで出る不良と、自分たちの検査で見つかる不良と、縫った本人がミスしたもの、と3段階あります。本人のミスまで含めてカウントするとしたら、これは人によりますね。何回も失敗する人もいるし、直せる場合と直せない場合があるし。

 

横山さん 1人前になるまでには、時間がかかる職人的な作業というわけですね。

 

横田さん そうです。難しい部分もあるので、手際良くやれるようになるには、やっぱり何年という単位でかかりますね。自転車の手放し運転と一緒で、自信がないとできないというのはあります。

 

横山さん うちのシェイカーも技術の習得までには時間がかかるので、同じようなことですね。

 

横田さん 習得は難しいのですが、中山間地に会社があるのはその点メリットで、社員の定着率がいいです。良い仕事をしてくれる人が、長く安定して勤めてくれるというのは会社としては安心です。難しいからやーめた、と言われると困っちゃいますからね。

 

コロナで現実になった7割操業

 

横山さん 豊田市ですと、大きな企業としてトヨタ自動車(株)(以下、トヨタ)がありますが、シートカバーは、色んなメーカーに納めていますか?それとも一社だけでしょうか。また、トヨタ関連だと、いわゆるトヨタピラミッドというのがあって、下請け、孫請け、ひ孫受けみたいな言葉もありますが、どの位置にいますか。

 

横田さん 基本的には、トヨタ一社専属でやらせてもらっています。それくらい車のシートを作るのには、人手がかかったり、仕事のボリュームが十分あるということなんだと思います。自動車内部の表面に付いて、そのまま見える部品なので、比較的トヨタに近い、ピラミッドでいうと2社目くらいのところにいますね。

 

横山さん いつどのようなスパンで、受注して製品を納めるのか、受注スタイルはどんな感じでしょうか。うちの会社も自動車部品を納めているのでこのように聞くのですが、マクロ(車種の受注)についてと、ミクロ(単品のもの)について個々のオーダーから納品まで、両方含めて受注スタイルを教えてください。

 

横田さん サプライチェーンが関係する自動車部品は、汎用性のある部品ではなく、基本的に車種やグレードの専用部品です。例えばAという車種を受注すると、基本的には立ち上げをして打ち切りまで大体4〜6年くらいモデルが続くので、それを受注することになります。

マクロの視点でいくと、自動車メーカーが年間何万台生産するつもりですよ、っていうのが年に2回くらい出ます。ミクロの視点で言うと、向こう3ヶ月くらいの工場の計画が出てくるので、それにしたがって準備をしていきます。3ヶ月分注文が来たものを全部作って貯めておいて、それをまとめて箱に入れて、という納入の仕方ではないです。我々が扱っているシートは色のバリエーションも多いので、明後日車になるものを今日作って明日、出荷する。3日くらいのサイクルでやっています。

 

お蕎麦屋さんのようなものですね。注文が来てから茹でるみたいな。天ぷらそばをあらかじめ10個作っちゃうとかしないわけですよね。それと似たような感じです。そうは言っても量産事業なので、効率良く流れるように作らなきゃいけない。ひたすらものを作るっていうよりは、どう効率よく作るかの管理なんかも大変だったりしますね。

 

 

 

横山さん コロナによって、いろんな影響を受けたと思います。何が変わって、何が変わらなかったのか。一番変わったところってどんなところでしょうか

横田さん なんだかんだ言っても、これまでは車の生産台数ってめちゃくちゃ安定していたと思うんです。車のメーカーさんが何万台作るぞっていうのがあって、販売店がそれにむけて車を売ってくれてユーザーが買ってくれてというサイクルがあった。何百万円もする商材が結構な数を作って売れていくというサイクルがずっとあったわけですよ。それが、コロナの影響による需要の低迷を受けて、まさに今日もそうですけどサプライチェーンが止まっている。

 

当たり前のように3ヶ月先までの発注があって、明後日作るものが提示されてというのが無くなるっていうことで、「あぁ、減るんだな」っていうのを実感しています。ただ、いきなり受注がなくなるわけではないので、その辺は車と言う商材の強みだなと思っています。

 

国内市場も落ち込むかもしれないということで昔から「7割操業になった時に会社がどうなるか、ちゃんと準備しておきましょう」という話は出ていました。それが人口減少ではなくて、コロナで現実になったというのに驚いています。

 

横山さん いきなり実践になりましたもんね。それでは生産減にはどのように対応されたのか、実際にコロナの足音が聞こえ出した2月3月くらいの話をお願いします。

 

横田さん うちは特別な事情があって、ちょうど4月から新しい車種のシートを作る立ち上げを準備しました。2〜3月は、その立ち上げとコロナのことで困惑していたというのが実感です。立ち上げって、大変なんですね。新しいものを作らなきゃいけない。慣れないので失敗も出やすい。そんな大変な時に緊急事態宣言の話が出てきました。

生産性は、徐々に上がっていくものだから、現場は止めるわけにはいかない。品質の確保もしていかないといけない。コロナでこれがどうなるの、っていう気持ちも片隅にありつつ、とにかく立ち上げを予定通りやろうということで精一杯でした。

 

横山さん 立ち上げが遅れるっていうことはなかったんでしょうか?

 

横田さん なかったですね。車を注文して待っているだけという方がいらっしゃる状況だったんで、これは予定通りやらなければならないという感じでした。

 

横山さん 立ち上げとコロナが一緒に来て、まさに見当識がぐちゃぐちゃになったような状況でしたね。

 

横田さん そうそう、見当がつかないっていうね…

 

培った技術でサプライヤーが
やれることって?

 

横山さん 中長期的にはどんな展望を持っていますか?

 

横田さん コロナ以前、自動車という概念から移動を叶える手段としての「モビリティ」に変わってきていました。米国の電気自動車大手のテスラ・モーターズや、ダイソンみたいな掃除機メーカーが電気自動車を作るという話もありました。ダイソンは止めちゃいましたけど。

 

自動車自体は、道路交通法もあるし、免許の問題もあるし、今までと同じようにある程度の需要はあるんだろうと思います。でもコロナで新しい生活様式になったり、人々の価値観が急速に変わってきたりしているので、長期的にはこれまでの50年やれてきたようなことがやれるとは思えない。

 

その時に僕らサプライヤーがやれることは何だろう。サプライヤーの力を使って社会に貢献できることは何だろうと考える訳です。先ほど、1つのメーカーへの依存度100%という話をしました。今は守られている中にいるわけですが、持っている技術を使って、自分たちでやれることっていうのを増やしていく必要があると思っています。新しいことに目を向けようということで、今、社内で色んな教育、活動を始めているという状況です。横山さんのところは自動車部品とは違う世界に足を踏み入れられていてすごいなぁと見させてもらっています。

 

 

横山さん うちはカクテル用品ブランドBIRDY.の売り上げが2月から3割ほど下がっていきました。そんな中、自粛生活の自宅でカクテルを作る人が増えているというのが数字として現れてきました。対して、もともとメインターゲットにしていたプロ・飲食店への売りげは7割8割減だったんですね。その時に7割8割を取り戻そうとするのではなくて、一般ユーザーを取りこぼさないようにしようということでインスタキャンペーンなどをやって、短期的にターゲットを一般ユーザーに変えました。

 

 

 

 

中長期的に、一般ユーザーをメインのターゲットにするのはなかなか難しい。やっぱり中小企業がものづくりをするとどうしても高くなってしまうので。高くてもうちが売りにしている技術が受け入れられる土壌は、やっぱりプロの方たちにあると、これまでやってきて肌で感じてわかっています。だから、外食産業がもう戻らないかもしれないので、一般向けにしましょうっていうシフトは考えていないですね。どういうバランスで何を開発していくかというところを知恵絞りながら進めているところです。

 

 

地域資源で、ここにしかない働き方をつくる

 

横山さん 次に、山村地域での働き方改革として取り組まれていることを紹介いただければと思います。

 

横田さん トヨタケ工業に働きに来てもらえる方を地元に限ると、地域自体が過疎化しているので、今後が厳しくなってくる。これから新しい方に入ってもらおうとするなら、移住定住の企画を地域と一緒にやっていかないことには、どれだけ頑張っても難しいよね、というところから始まりました。

 

最初はOPEN INABUという取組をしました。うちはミシンの仕事なので、女性の比率が非常に高くて8割ぐらいが女性の社員さんなんですね。新しく女性の方が一人で移住してくるというのは難しいだろうということで、旦那さんがいる方が来られるように考えました。地元農家の方と一緒になって、旦那さんは農業やって奥さんトヨタケに来るみたいなスタイルを提案してやっていましたが、働くところと住むところがあるから移住してくるかっていうと、そういうわけでもない。

 

働くところはどこでもある。じゃあ稲武で働く魅力ってなんだろうと考えました。そこで浮かんできたのが。私の趣味がマウンテンバイクに乗ることなので、「マウンテンバイクを乗りながら働けるよね」っていうことで、InabuBaseProjectを始めました。都市部から参加者を募り、土日に地元の方に案内してもらって、林道をマウンテンバイクで走りました。インスタ映えする写真が撮れたりということで人気が上がり、参加される方が増えてきました。

 

土日にマウンテンバイクに乗りに来る方の案内を、社内の誰かにお願いしようとすると、「社長それ仕事ですか遊びですか」という話になる。じゃあ土日はツアーガイドとしてお金を稼いで、平日3日はトヨタケで働いて、2日は休みという働き方を作れば、5日分の仕事で好きなこととミシンの仕事両方やれるんじゃないかと。そういう枠組みを考案してプロモーションをかけたところ、若手の方が何名か移住してくれて、今一緒に収益を上げるツアーガイドの実現に向かってトレイル整備などをやっています。

ツアーガイドもする働き方に惹かれて新しく入社した遠藤颯(えんどうはやて)さん

 

 

田舎は、副業兼業の生き方が当たり前

 

横田さん 去年が副業兼業元年と呼ばれていましたけど、もともと田舎の方たちの働き方って皆さんいくつもの仕事を抱えているようなスタイルなんですよね。

 

例えば会社勤めをしながら、代々守ってきた田んぼをやっている。田植えの時期は、会社半ドンにして田植えしなきゃならない。近所の草刈りもやらなきゃならない。加えて、稲武ではコミュニティの会議っていうのがすごく多い。顔を出すことに必須感がある。

 

一人の人が地域のいろんな役を掛け持ちするっていうのは、田舎の方では古来からのあり方です。会社と家の往復で1日が終わるのは、戦後の高度経済成長の町の価値観で作られたスタイル。本当は市街地でも町内会とかあって、近所の公園の清掃の日は行かないといけない。でも町だと人が多すぎて、来ても来なくてもわかんないみたいな、そういうところありますけど、田舎ではそうはいかない。

 

目を逸らしちゃいけないことに向き合っている田舎は、スローライフってイメージがあるかもしれないけれど本当はめちゃくちゃ忙しいんですよね。そういうことを考えるとうちの会社は、もっと地域の人たちの暮らし方に応えていく働き方を作っていかないといけない。

 

あと、うちに働きに来てくれている方はお母さんが多いので、17時に終わったら家のことがあります。だから会社に遅くまでいるわけにはいかない。そんなお母さんたちの要望にも応えていく必要があります。

 

稲武は働き方と言う意味では先進地だと思いますね。副業兼業を促進するために硬いことを色々考えなきゃいけないのではなくて、本質的には、そうすべきじゃないのっていう気がしています。

 

 

 

アイデアを実現するために大切なこと

 

きうら 今、コロナ禍にあって、これまでとは違うアイデアを実現させていきたい方がいるかもしれない。新規事業や働き方の構想を形にしてきたお二人に、何を大切にしているか伺いたいです。

 

横山さん 新規事業を作る時って、ものが先か、市場を決定するのが先かどちらかだと思っていて、BIRDY.の場合は前者、たまたま良いものが出来ちゃったというパターンでした。社内で技術の棚卸しをしてみたら、研磨をすることによって何か付加価値が作れるんじゃないかとある時に気付いたんです。

 

そこで、いろんなものを削って何か商品にならないかっていう試作を何回かしました。最初はステンレスの日本酒タンブラーみたいなものを磨いてみました。その流れでシェイカーを磨いたら、味がすごく変わることがわかって、BIRDY.を立ち上げることになりました。

 

今から思うと、サプライチェーンを一から構築したり、デザインも東京のデザイナーに会いに行ったり、云々したのでかなり時間も労力もかかったんですけど・・・使命感ですね。良いものができることに気付いたからには、ものにしないといけないという使命感に死ぬほどかられていました。試作品を作るくらいならちょっとした気持ちでできると思うんですけど、それを売り物にする時には、圧倒的な熱が必要です。一直線に同じ方向を見ることができる人とチームになって、やってきた感じですね。

きうら 横田さんはどうですか?

 

横田さん 自社が何をやれるかという価値について、まず資源を明確にして、それがどういう風に使えるのかということを、イメージしていますね。『こうしたい』っていう将来像があって、最初は全くそこにつながってない。どうつなげていくか。それはOPEN INABUもInabuBaseProjectもそうなんですけど、社外の誰かが思わぬヒントをくれたことで想定外の方向に行って、結果『こうしたい』につながったということが結構ありました。

 

そういう意味で社外との接点ってすごく大事だなって思いますね。中だと当たり前すぎて見過ごしちゃうことってすごく多いので。

 

 

新しい自分アップデートする習慣

 

 

きうら 自分をアップデートしたり、新しいアイデアが湧き上がってくるために、習慣にしていることがあれば教えてください。

 

横山さん 事実ばかりを頭に入れないように意識しています。今回のコロナで浮き彫りになったことがありました。コロナが広がり始めてから、新しい情報ばかり探して集めていた時期がありました。それに疲れちゃったんですよね。情報で頭が凝り固まっていた。

 

ゴールデンウィークに中国の「三体」というS F小説を読みました。その小説のインパクトが大きかったです。情報や事実は、大事だけれど、そればかりではつまらない。その小説は、単純に楽しかった。死ぬほど勉強しないと書けないような科学的なS F小説ですけど、事実の部分も大事にしながら、それを「人の心を動かすような」表現として昇華させていることに刺激を受けました。

 

BIRDY.も、単に機能がある道具ではなくて、デザイン・美意識もバランスよく存在していないと人の心は奪えない。求められるスペックをいかに飛躍させられるか、それができる勇気があるかが大事であって、それは分析していればできるものではない。だから、事実だけではなく、小説、音楽、アート、ファッションなど、表現として昇華したものをバランスよく取り入れるようにしています。

 

横田さん 私の場合は、見られることを意識しています。見られるということは、さらけ出してどれだけやれるかっていうことで、自分に対するチャレンジです。さらけ出せば出すほど、返ってくる反応はリアルになります。今度、工場にあるミシンの研修道場をものづくりの場所として開放するFabcafe構想のために、ハッカソンというアイデア大会をやります。社員が中心に参加しますが、ゲストもお迎えする予定です。

 

トイレのことなども含めて、会社を「見せる」ことに向き合うことで、見られることの緊張感が出てきます。働いている人にとっては、「面倒だな〜」と思うかもしれないんですけど、1つの刺激にはなる。それで外から来た方に、「わー!すごい」って言われることがあれば、やっぱりうれしいしいですよ。

 

見られるばかりだと疲れるので、自分一人の時間も大事にしています。一人で自転車に乗ってぶつぶつ言いながら坂を登るというのは貴重な時間です。せせらぎの音を聞いて、自分の吐く息を意識しながら登っていると、もやもやと考えていたことに芽が出る時があるんですね。緊張とリラックスの間を行き来するときに良いアイデアが出ると言われますけど、そういうのを一人の時間を持つことで作り出しています。

 

 

足元の価値を見つめ直し、未来をつくる

 

きうら コロナを受けての未来をどのように予測していますか?

 

横山さん 今、感じているのは、未来はこうなるっていうような情報を集めてそれに合わせていくのではなく、自分たちはこうなりたいという姿を定めてそこに向かっていく、そういう人が時代を引っ張っていくんじゃないかと思いますね。

 

自分についているタグを1つに絞って、それをどんどん大きくしていくことが重要になってくるということも感じています。コロナの状況下で、いろんな頼まれごとがありました。「手伝ってください」とか、「情報を拡散してください」とか。自分はこの業界において何者かというのがよくわからなくなりました。でも、ある時「ものづくりに立ち戻らないといけない。#手伝う#宣伝する、など色んなタグが付く「何でも屋」の横山ではなくて、#ものづくり、の人間としてちゃんとものづくりをして、そこに居続けなきゃいけない」と気付きました。

 

小売の世界だと、コト消費って言われているところから、どんどんヒト消費。例えばYoutuberとかインスタグラマーが紹介したものを、そのまま購入するようなヒト消費に移るんじゃないかと言われていて、そういう消費行動が実際に出ている。勝ち組がどんどん強くなっていく世の中になっていく気がしている。ものづくりの人間横山としての価値を高めていったほうが、この仕事で影響力が高まると感じています。

 

 

横田さん ここ最近は、グローバル化が進んで、サプライチェーンもそれに影響を受けて、安いところでたくさんものを作ってそれを輸出するとか、地元で作るよりも海外から輸入したほうが安いとかいう風潮がありました。

 

人為的に作り出された貨幣価値の中で、グローバルっていう世界標準が、どんどん出てきて、人も混ざる、物も混ざる、均一化してくるっていう流れが進んできた。それって、移動とか、運ぶとか、見えないコストをすごくかけていたと思うんですよね。コロナの影響を受けて、移動が制限されるようになりました。各国どうしでも入国制限されたり、日本の中でも、県をまたぐなっていう江戸時代に戻ったような話になったりしました。そういうことで、一旦お気楽グローバル主義みたいなのは、ちょっとトーンダウンするのかなと感じています。

 

一方で、実際に会う、現場に行って感動するとか、今まで当たり前すぎてそう思わなかった「実はありがたいこと」、そんな一期一会的な価値っていうのは、逆に上がるのかなと。オンラインは便利になる一方、リアルサイトでやれることの価値っていうのは上がる。そうすると、田舎に来るっていうことに関して、発信ができれば価値は上がるんじゃないかなというふうに思っています。しょっちゅう行けないけど、たまに行くから価値があるということになる。例えば今月末、InabuBaseProjectで蛍ライドという自転車のイベントを夜やります。蛍が見えるのはこの時期しかないから貴重です。でも蛍って全くインスタ映えしないんですよね。写メに移らないんですよ。でもそれは実際に見た人だけが感動できるということになる。そこでリアルサイトの価値っていうのはすごく上がると思っています。田舎の足元にたくさんチャンスが転がっていて、そういうものを見つけていくことで、今までグローバルがかっこいいとか、そういう風に思っていた頃とはまた違う価値が見直されるんじゃないかなぁと。そんなふうに予想しています。

 

横山さん 今日読んだ記事でも、外に出られなくなってインスタ映えする写真が撮れなくなったから、ネタがなくなって若者が内面に目を向けるようになったと書いてありました。インスタ映えっていうのから次のフェーズに行くのかもしれない。「蛍の写真撮れなくていいよね」とか、「別にシェアしなくていいよね」と、今とは逆の現象が出てくるのかもしれないですね。

 

お知らせ
*横山哲也さんが主催するオンライントークMakersTalkのアーカイブ動画、今後の告知などは、こちらのFacebookページでチェックできます。
*トヨタケ工業(株)で展開されているマウンテンバイクを使った働き方改革InabuBaseProjectのホームページはこちらから。

きうらゆか

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1979年生まれ。2014年、夫のUターンに伴って豊田市山村地域・旭地区に移り住む。女性の山里暮らしを紹介した冊子「里co」ライター、おいでん・さんそんセン...

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