季節を感じる暮らし【はだしで野生をとりもどせ!#5】

コラム

前回のコラムはこちら↓

 

 

こんにちは、はだしの人金子潤です。

 

先日、久々にブリッジをやろうとして仰向けに寝転がって、身体を持ち上げようとしたら頭が床から浮き上がらない。
前屈は軽々できるのに、ブリッジのような身体の前面を伸ばす動きが硬い。

 

前後のバランスで考えれば、身体の後面は柔らかいのに、前面が硬い、アンバランスな状態になっていることに愕然としました。

はだしランニングを始めた頃は、足だけでなく、せぼねを使いこなせるようにと、ブリッジ、逆立ち、肩立ち、三点倒立は毎晩のルーティンメニューだったのに。。

 

 

そういえば、息子が生まれたあたりから、毎晩のメニューはいつの間にか無くなっていました。
しかも、コロナ禍でパソコンと睨めっこする時間が確実に増えたことも身体が硬くなる原因の一つだったようです。

パソコンでの作業、車の運転。文明的なくらしは身体へ向かう意識が削がれる。

自分の身体と向き合う時間を1日の時間割に組み入れる必要がある、自戒の念をこめてそう思います。

 

家族の時間は豊かですし、それが身体を硬くしてしまった原因ではないことは確かです。

時間は有限なもの。もしかすると今の暮らし方に見直すポイントがあるかもしれない。
ブリッジ硬すぎ事件はそんな教訓になりそうです。

 

今回は、そんな今の暮らしについて紹介します。

 

 

「やりたいことがあるなら、すぐに動いた方が良い。時間がないから」
千葉に住んでいた頃、鴨川市で開催された『タイガからのメッセージ』と言う映画の試写会で映画監督の三上雄己さんに言われた言葉。

この言葉は、いなか暮らしへの思いを強烈に後押しするきっかけになりました。

 

豊田にも田舎があった!

 

息子の誕生と三上監督の言葉に背中を押され、次の場所を模索していた2016年、
中京大学の公募が通り千葉から愛知へ移住することが決まりました。

 

中京大学へはバスケットボール部のトレーニング指導で定期的に行く機会がありました。
その時に、立ち寄っていたスーパーがやまのぶ。

レジ横で面白いフリーペーパーと出会いました。

それが『耕Life』でした。

当時やまのぶで見かけた号

 

豊田市は街だけでなく、田舎がある。この雑誌のおかげで地域情報の予習ができました。
農家民宿ちんちゃん亭にたどり着くことができたのも、『耕Life』のおかげ。

女将のけーちんとの出会いは強烈な思い出です。

はだしの話を熱心に聞いてくれて、暮らしの価値観も共通点が多くある。

移住前から心強い仲間ができたのはとてもありがたいことでした。

 


写真右上の黒い服の女性が農家民宿ちんちゃん亭女将けーちん


農家民宿ちんちゃん亭で行ったワラーチワークショップの様子

 

 

 

「愛知と言えば、喫茶店」
家探しは不動産屋ではなく、喫茶店で地域の情報を探りながら進めました。

 

田舎は地域に根ざして暮らす人が多く、人と人との関係性が都会よりも濃い。
移住者がスムーズに生活をスタートさせるには、
地域のハブとなる場所やハブになりそうな人物を探して繋がることが大切だと考えていました。

 

今の世の中、インターネットでほとんどの情報は手に入る。

でも、結局のところ実際に暮らす人の雰囲気はリアルに会って肌感覚で話すことで掴めるもの。
しかも、私が探し求めていたのは、秩父のおばあちゃんのような手仕事や手作りの暮らしの達人たち。

それを実践している年長者の方々の懐に飛び込むのは、リアルに自分の熱量を伝えるのが近道なのです。

地元で開催した体操教室

 

「たくさんおばあちゃんがいる」暮らし

 

「古民家に住めたら良いなぁ。」
漠然としたイメージでしたが、願えば叶うもので、ここだ!という感触の古民家に出会うことができました。

 

住み始めて、まずうれしかったことは、朝のゴミ出し(片道600mあるので、時間がない時は車で行きます)の時、道中で集落の方とすれ違うと、ニッコリ挨拶ができること。

 

集落は100人程度の規模なので、顔の見えるちょうど良い関係。

 

息子がある時「僕には、おばあちゃんがいっぱいいるねぇ」
うれしそうに言っていたのが記憶に残っています。

 

地域の暖かい眼差しが、私たちの暮らしをより豊かなものにしてくれています。  

 

はだしの生活

 

山をはだしで走ると足のゆびの開き具合は、舗装路を走るよりも変化が大きい。

千葉にいた頃から、森の中の不整地の方が身体がより整う感覚がありました。

 

田舎に住んだら、日々のくらしの中ではだしで過ごす時間をもっと増やそう!
バラ色のはだし生活を想像していたのですが、現実はそう甘くありませんでした。

 

自宅からすぐのところに昔使われていた山道がありました。
でも入り口から倒木がありヤブ化して来るものを拒む雰囲気。

ちょっと入っては戻るを繰り返していたある日、マダニに噛みつかれました。

マダニなんて聞いたことも、見たこともなかったので、最初はそれが何であるか全くわかりませんでした。

 

それ以来、しばらくは小原で外ではだしになるのは地域の運動会の時の日だけ。
毎年のようにマダニには刺されていましたが、移住5年目にして、ようやくその山道にはだしで入る度胸がつきました。

マダニは足先に飛び付いて、ノロノロと足を這っていくので、はだしの方が身体に着いた感覚がわかることに気がついたのです。

 

田舎暮らしでは畑仕事、草刈り、薪割り、家のメンテナンスなど、日々の作業がたくさんあります。

機械や刃物を使うときは大ケガを防ぐために、地下足袋やファイブフィンガーズを履くことにしています。
都会暮らしでランニングにあてていた時間は、日々の作業時間に置き換わりました。

 

そんなことから、当初の想像よりもはだしで過ごせる機会は少なかったのです。

 

五感で季節を感じる暮らし

 

はだしのスキル向上だけでなく、野生を磨くことも田舎暮らしの課題でした。

私たちには外の世界を認識するために、五感が備わっています。
五感をベースに小原の暮らしを考えてみると、

 

 聴覚

 春はウグイス、夏はセミの鳴き声が目覚ましになり、秋の夜長はコオロギやキリギリスといった虫たちの演奏会が聴ける。夜になると時折、フクロウや鹿、コウモリの鳴き声が聞こえる。強風で、木々の葉がそよぐ音も心地よい。地鳴りなんて東日本大震災の時くらいしか聴いたことがなかったが、ここに暮らしていると、何ヶ月かおきに山の方からゴーっという地鳴りが聞こえる。

 

 嗅覚

森の香り。自宅前には集落の神社があり、そこからフワッと優しい森の香りが漂ってくる。朝の香り、夜の香り、四季折々の香り。森の表情が鼻から感じられるのはたのしい感覚。

視覚

春は新緑。夏は青々とした緑、秋は紅葉。冬はセピア色。私が一番好きなのは、冬から春に向かうときの芽吹きの瞬間の若々しく生命力に満ち溢れた薄緑の森の色。毎日森を見ていないと、この表情の変化は追えない。都会暮らしでは全く気がつかなかった景色。

味覚

春は山菜、梅雨は梅仕事、夏は畑の野菜、秋は柿と栗、冬は柚子。冬は毎日が大根と白菜だったりするが、それも季節のものだから有難く戴く。スーパーでトマトは一年中買えるけど、小原に住むと季節の食材を選ぶのが当たり前になった。

触覚

手触りとしての土、足触りとしての土。私は手よりも足で地面に触れる方が季節の変化をより強く感じるようになった。移住一年目は古民家の底冷えする寒さに足ゆびの先が霜焼けになったことも。最近は雪の上を歩いても大丈夫な足に変化。秋の栗のイガはどうやっても刺さる。でもそれも季節の風物詩として前向きにたのしめる。

 

日本には四季があるわけですが、季節の移り変わりって結構行ったり来たりしながら、
緩やかに移ろうモノだと、小原での暮らしから気づくことができました。

 

自然との触れ合いを通して、五感で季節を感じる。

5年過ごしていると、自然への寄り添い方が少しずつ見えてきます。

 

心と身体のリズムを整える。

私たち人間に備わった感覚器官。せっかくだから、自然と触れ合う機会をちょっとだけ増やしてみる。

日々の暮らしの中で、五感でどんなこと・モノを感じているのか、一度整理してみるのは面白いかもしれませんね。

金子潤

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千葉県我孫子市生まれ。中京大学スポーツ科学部助教、早稲田大学大学院人間科学研究科修了、日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー 自らはだしで野山を駆け回...

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