懐かしくて新しい豊かな暮らし【はだしで野生をとりもどせ!#3】

コラム

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こんにちは。はだしの人・金子潤です。

 

小原に移住して5年目。
最近は、怖かった自宅の裏山にもはだしで入る度胸がつきました。

「潤さんは小さい頃から野生児だった?」

いえいえ、木登りや川遊びなんて未経験。身体が大きかったので、動けそうなヤツに見えていましたが、運動神経が良いわけではなく平凡な子どもでした。

記憶に残っている不名誉な記録は、小学四年生の垂直跳びが25cmだったこと。上にジャンプする感覚が全く分からなくて、スポーツテストで恥ずかしい思いをしたのを今でも覚えています。

そんな奴が、靴を脱いだらたのしくなって野山をはだしでかけ、登れそうな木が目に入ると飛びつくようになったのだからはだしのチカラはすごいもんです。

 

はだしで走る=靴を足元から引く

 

“モノが無いとできない”ではなく、無いから工夫してできる引き算の暮らしを模索していた2012年のあの頃。

そんな暮らしの実践者は身近にいたのです。

 

秩父のおばあちゃん

 


おばあちゃんの靴に注目!

 

秩父の山奥でひっそりと暮らす妻のおばあちゃん(現在99歳で5年前より施設入所)。

記憶は定かで無いのですが、結婚式のスピーチで妻との出会いの話を差し置いて「秩父のおばあちゃんとの出会いは運命的でした!」と言ってしまった私。

東京出身の両親に郊外のベッドタウンで育てられた私。未体験の「いなか」。

田舎の風景は想像の世界の中。アニメ「まんが日本昔ばなし」やN H Kの紀行番組「小さな旅」といったテレビで得た知識しかありませんでした。

そんな私にとって、”おばあちゃんのくらし”のインパクトは凄まじかったのです。

 

おばあちゃんの住まいは、埼玉県秩父市の武甲山(ぶこうさん)の山中の小さな集落。1990年代後半にダム工事が始まるまでは、家のそばに車が通れる舗装道路がなく、ふもとのバス停に車をとめて15分から20分、山道を登らないとたどり着けない場所にありました。

築130年の古民家。薪のお風呂。山の斜面を耕した畑。

収入は2ヶ月に一回の国民年金。スーパーへの買い出しは月に一回。ほぼ、自給自足の暮らしでした。

何かに依存した暮らしでは無いのです。

 

その強さを思い知らされたのは、2013年の冬に関東地方で大雪が降って陸の孤島状態になった時。心配して電話をかけたら「米と味噌があれば2週間は大丈夫だよ」と余裕の返しだったんです。

人里離れた山奥なのに、いざと言う時にびくともしないのには驚かされました。
(私はその大雪の日、帰りの電車が途中で止まってしまい、2駅分を歩かされ、大変な思いをしたのを覚えています)
自分の手の届く範囲での生活だから、都市型生活での災害リスクなんて、当てはまらないんだろうと思います。

 

よく動き、よく食べ、よく笑う。

おばあちゃんの印象はとにかく食欲モリモリ。初めて秩父の家に泊まった翌朝の朝食ではご飯をおかわり。年齢と共に食が細くなる、なんて良く言いますが、そんなの当てはまらない強靭な胃袋の持ち主でした。

その秘訣は何だろう?

特別な食生活?というわけでもなく、季節に応じてそこにあるものを食べているだけ。冬なんては毎日大根と白菜、同じ野菜が食卓に並ぶこともしばしばあります。

 

唯一あるとすれば、自家製の緑茶です。

秩父のおじいちゃんが集落の人に「こんなところでチャノキが育つはずがない」と散々言われながら、山の急斜面で元気に育ってしまったチャノキ。五月の新茶の時期になると、親戚総出でお茶摘み、一年分のお茶を作ります。妻の一族はここのお茶しか飲まないのだそう。

おばあちゃんはというと、家の裏から湧いている武甲山の水でお茶を出し、一年中、一日中、飲み物を言えばこのお茶だけなのです。

肉も魚も滅多に食べず、基本的には畑で取れた野菜中心の食生活。

でも何だかぽっちゃりした体型なんです。緑茶ってそんなに凄いのか、と疑っていましたが、1962年発表のお茶の成分について解説した論文「お茶の化学成分、味・香りと茶樹の栽培(石垣幸三/農林水産省茶葉試験場)」を読むと、炭水化物が意外に含まれていると書かれていて、おばあちゃんの体型の理由がわかったような気がしました。

ここのお茶の味は洗練された上品な味とは言えません。でも、何だか身体にスッと入ってくる優しさ。何杯でも飲める飲みやすさ。そして何よりも利尿作用がとんでもなく高いのです。

昔は家で、新芽を摘んで製茶していたようですが、最近は工場に出すとのこと。

でもせっかくなので、一度お茶づくりを体験させてもらいました。摘んだ葉っぱを蒸して、握りながら煎る。ものすごく熱いのですが、おばあちゃんのグローブのような手はそんな熱さを物ともせず、テキパキとお茶ができていきました。

自ら育てた茶の木の新芽を使って、自分の手でお茶にして、山の水で入れて飲む。この時のお茶が自分至上最高のお茶です。

お茶以外にも手仕事から生み出される、秩父一の手打ちそば、手作りコンニャク。作り方を習っても、あの魔法の手だから出せる味は真似できそうにありません。

そして、柚子が苦くて食べられない私でしたが、秩父の柚子は苦味がなくてフルーティー。気がつくと苦手な食材では無くなっていました。

四季折々の食材たちは、秩父の空気と水にしっかりと根付いて何を口にしても、味が濃くて美味しかったのです。

武甲山から湧き出す伏流水を薪で温めて入る木桶風呂も最高でした。

薪で沸かしたおかげかお湯がやわらかくて、風呂上りは身体が芯からポカポカに。湧水+薪+木桶風呂、この組み合わせは身体にとても優しいですね。

 

この頃から試しはじめたのが湯シャンです。読んで字のごとく、お湯だけで頭を洗うのが「湯シャン」。湯シャンをしていると水の違いが適面にわかります。都会の水はベタつく感じが取れないのですが、おばあちゃん家での湯シャンはサラサラな洗い上がりでした。

おばあちゃんの話を元に手打ちそばの蕎麦湯をリンス代わりにしたこともあります。これは髪がしっとりして気持ちがよかったですね。

人間の身体は6割が水でできている、なんて良く言われていることですが、毎日口に入れ、身体に触れる水はいのちのように大切なんだと実感できたのです。そして、住む場所は湯シャンで髪の毛がサラサラになるかを基準にしようと考えるようになりました。

 

お金では買えない、水・空気・緑、そして自然に寄り添う暮らしはとても輝いて見えました。自然の恵みを享受して、と言いたいところですが、ただそこにある自然を生かすわけではない。

庭にはカタクリや岩ザクラが自生し、お気に入りの季節の花を時折植える。

次の春を楽しみに多様性ある風景を造っていくこと。手入れをして、人の手のよって豊かな生態系を作り、その恵みをたのしむ暮らし。

 

季節が身体に染み付いて、それを感じ取って動く、野生動物的な生き方。

オーガニック、サスティナブルという言葉が出てくる前から当たり前に循環していた暮らし。

何よりもたのしそうに暮らすおばあちゃんの姿。

足るを知るを体現した暮らし。

 

車が家の前まで入れず、山を登らないと辿り着けない場所だからこそ、身の丈にあった、身の回りで完結できる暮らし方が続けられたのでしょう。私たちの日常から移動を大きく不便にしたら、もう少しゆっくり暮らせるのかもしれません。

秩父の暮らしを体験したことで、豊かさの価値観は大きく変わっていきました。

 

 

都会でも田舎暮らし

 

田舎にはすぐ移るのは難しい、でも当時の都会の生活でできることは何だろう、そう考えていくつかの実践を始めました。

この実践にあたっては、原発事故の影響による放射能汚染、ネオニコチノイド系農薬の影響、遺伝子組み換え食品の広がりといった当時の気になっていたキーワードも関係があります。

 

ちょっと世の中を斜めから視るクセがある私が、妻と初めて一緒に見た映画は、アメリカの食品産業に潜む問題点に切り込んだフード・ドキュメンタリー「フード・インク」と、身体の潜在能力について取り上げた荒川修作のドキュメンタリー「死なない子ども」。自分で言うのもなんですが変なヤツですよね、そしてこういうところが金子潤なんだなと言えます。

 

家にあった調味料と洗剤類をいったん全て処分し、取組んだことは、

調味料の見直し。日常的に使う、さしすせそをできるだけ工業的製品ではなく、作り手の手仕事で生み出されたものに変える。

 

材料ラベルを良く見る。その食品を自分で作った場合に足さないであろう、着色料、保存料などの添加物ができるだけ少ないものを選ぶ。

人工甘味料を極力避ける。

日頃の飲料は水か自分で作った野草茶や日本茶を中心にして、清涼飲料水はできるだけ飲まない。

顔の見える生産者から買う。野菜は地元農家を中心に無農薬、無化学肥料で育てたもの、F1では無く在来種の野菜を購入する。

ベランダ菜園を始める。秩父の土と野菜苗を貰って、マンションのベランダで野菜を育てる。

これら主に食に関することでした。

 

日々口にするものが、自然なものに変わっていくと、味覚が繊細になり、添加物入りの食品を食べた時の身体の反応がわかるようになりました。工業的に作られた食品を食べるといつも胸焼けがして、喉が乾きます。身体が自然とそういうものを欲しないようになっていきました。

人工甘味料を極力控えたことで、私も妻も体脂肪が落ちました。食品ラベルは安いものほどびっしりといろいろ書いてあります。直ちに害は無いから添加されているのでしょうけど、なくても良いものはなくても良いのです。

 

繊細で敏感な感性=野生

 

前回紹介した、はだしランナーのバイブル『Born to Run』に登場するトレイルランナーたちはビーガンやベジタリアンが多かったのですが、当初はその理由が良くわかりませんでした。

はだしと食って、一体どこがつながっているのだろう?食を見直してみると、身体感覚はよりクリアに変化していきました。はだしで走る時に、刻々と変化する周りの環境、自身の身体の変化が敏感に感じとれるようになっていったのです。

そして、自然と工業的な食品には手を出さなくなりました。

 

電気を見直し、食を見直し、生活に関わるモノをできるだけ減らす。あったらいいな、でも無くても大丈夫。そして、無くても大丈夫ならもっと気楽に生きられる。

 

はだしを軸に据えてみると、便利をどんどん足していった生活から、便利を引いて不便をたのしむ暮らしに変わっていきました。

 

 

足し算の暮らしから引き算の暮らしへ

 

都会で暮らしながらも、「無くても良い暮らし」は住む場所を選ばない暮らしの土台を築き上げることにつながりました。今振り返れば都会にいながら、田舎暮らしの練習をしていたのだろうなと思います。

はだしでいるということは、靴を引き算します。自分の身体に向き合って工夫すること。そんなワクワクする試みが生活の中でたくさんあふれていきました。

 

田舎暮らしのイメージを抱きつつも、この時まではまだその一歩踏み出す勇気はありませんでした。
私の背中を押すきっかけとなる新たないのちの輝きは、遠くの果てからその登場を待ちわびていたのです。

金子潤

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千葉県我孫子市生まれ。中京大学スポーツ科学部助教、早稲田大学大学院人間科学研究科修了、日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー 自らはだしで野山を駆け回...

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